|
ミニコミ143号【「日野っ子」トキを佐渡の空に 飼育現場のサポート役に徹して2年】
多摩動物公園 野生生物保全センター長 冨田恭正さん(45歳)
日本の空から一度は絶滅したトキを、新潟県の「佐渡トキ保護センター」から預かって間もなく2年。昨年は2組の親鳥から8羽の新たな生命が生まれ、うち4羽が今年9月、佐渡の空に放たれた。
多摩動物公園の「野生生物保全センター」は、絶滅が危惧されている動物を飼育し繁殖させ、保護する目的で06年に開設された。
その2代目センター長に就任したのは07年4月のこと。当時、鳥インフルエンザに鳥が感染する被害が各地で発生し、万一これが佐渡に広がってしまえば、中国から貰い受け繁殖させてきたトキが全滅してしまう恐れもあった。そのリスクを避ける「疎開先」として環境省から真っ先に白羽の矢を立てられ、この年の末に2組4羽のトキが佐渡から送られてきた。
トキの飼育と繁殖は「国家プロジェクト」でもある。それだけに、失敗は許されない強いプレッシャーの中でのスタートだったが、経験豊富な2人の飼育係の力を信じ、現場のサポート役に徹してきた。モットーとしてきたのは「議論はしても余計な口出しはしないこと」という。
この2年間、実際の飼育、繁殖を通して学んだことが、いくつもあった。
トキは産卵した直後、巣で落ち着いて卵を抱こうとしない。くちばしで卵を何度も拾い上げては動かし、その拍子に巣から落としてしまうこともある。そこで飼育係が巣の大きさを小さくしてみると、拾い上げずに転がして卵を動かすようになり、かえって落下を防ぐことができた。
これもまた、トキの性格や行動を細かく観察し、常に探究する姿勢から生まれた発見だった。
センター長として年に2、3回は佐渡を訪れる。そこで、こうした成功体験などを伝えるとともに、佐渡での事例も見聞きし、それぞれのスキルアップにもつなげてきた。
昨年に続き今年も10羽がふ化し、順調に育っている。この「日野っ子」トキもいずれは佐渡に移され、地元のトキとともに空に飛び立つ。
子どものころから大の虫好きで、多摩動物公園の昆虫の飼育係に憧れた。それがかなえられたいまでは、大空を舞うトキの優雅な姿が、新たな夢として膨らんでいる。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=高橋哲朗・土山万貴子
2009年11月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ142号【レジ袋有料化でゴミ減量運動を高めよう スーパー「いなげや」3店舗で実現】
日野市ごみ減量推進市民会議 小野寺 勲さん(73歳)
「スーパーのレジ袋をなくす運動をゴミ減量作戦の起爆剤に」
そう思いたち活動の先頭に立って6年。それはいま、一部ながらもレジ袋の有料化へとつながり、環境省が発表する「ごみ排出量の市町村ランキング」で日野市がベスト5にランクされる原動力の一つにもなっている。
社会を見渡すと「使い捨て」が日常の光景になり、スーパーのレジ袋はその象徴ともいえる。メーカーの調査によると、その使用量は1世帯で年間600枚。どうしたら、これを使わない社会に変えていくことができるか。手探りの中で、まずは毎月5日を「その日」と決め、雨の日も風の日も日野市内13のスーパーマーケットの店先に立ってチラシを配り、マイバック持参を呼びかけてみた。
多くの買い物客が、チラシをしっかり受け取ってくれた。市の意識調査でも「買い物袋を持参すべきだ」と答える人の割合が9割を超えていた。確かな手ごたえ。しかし、それは錯覚だったことに気づかされた。スーパーの出口で調べてみると、マイバックを手にした人の数は、ほとんど増えていなかったのだ。
「頭で理解してもらうだけではなく、それを行動へと変えていく何かが必要だ」
「レジ袋を有料にしてもらったら、マイバックで買い物する人が増えるのではないか」
以来4年間、市内13のスーパーを訪ね、レジ袋の無料配布中止と有料化を働きかけてきた。顧客が減ってしまうことを恐れ多くは有料化に踏み切れないでいるが、そうした中で「いなげや」が日野市内3店舗でそれを実現させてくれた。「環境意識が高い日野市ならば有料化しても売り上げに影響は出ない」。そう考えての決断だったといい、レジ袋は1枚5円で販売され、売上金は地元の小学校に環境教材として還元されている。
都心に住んでいたころ、たまたま乗った中央線の車窓から見た日野の美しい自然に魅了され、1980年に多摩川に近い現在の住居に移り住んだ。マーケティング関係の仕事をリタイアした後は、日野の街づくりや自然を守る活動に携わり、いまも環境問題に関連した5つの市民団体に所属し、活動を続けている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=佐藤百合・高市由希帆・二俣友香
2009年10月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ141号【チェロとの運命的出会いから20余年 老人施設、学校に響く「癒しの音色」】
チェロ演奏家 久木田 薫さん(30歳)
日野市東平山にある老人施設「クローバー」のホールに、チェロとピアノ、バイオリンの三重奏の調べが響く。
「G線上のアリア」「アベ・マリア」「リベルタンゴ」「トロイメライ」。次には「荒城の月」「浜辺の歌」といったポピュラーな曲。会場のあちこちから大きな歌声があがり、お年寄りたちの口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
愛用のチェロ「プレセンラ」と一緒に20年余り。CDをリリースしたり、ラジオや映画などに出演したりしながら、母が代表を務めるボランティア団体「ハーモニー」の一員として中学生のときから老人ホームや病院、小中学校などで演奏活動を続けてきた。
チェロは人の声に一番近く、「癒しの音色」とも呼ばれる。お年寄りの施設でチェロの演奏をしたときのこと。認知症のお年寄りが昔に聞いた曲を口ずさんだり、五十肩に悩む男性の肩があがるようになったり。それは、音楽、そして、チェロという楽器の持つ力を目の当たりにした瞬間でもあった。
バイオリン奏者の父、ピアノ奏者の母のもとで幼いころから楽器に触れて育った。2歳のときからバイオリン、3歳のときからピアノを習ったが、自分にはどちらもしっくりこない。そんな中、7歳の時に自宅に来たチェリストが奏でる音色を耳にした。
「自分に合っているのは、この楽器だ」
チェロとの運命的な出会い。高校生も出場する札幌ジュニアチェロコンクールの優秀賞を14歳で受賞し、コンクールやオーディションに挑戦する高校生活を送った後、東京芸術大学に進学した。2001年には久石譲さんの初監督作品「Quartet
カルテット」に出演。スクリーンに映し出された自分の姿を見たとき、人々に音の楽しさ、美しさを届けることができる醍醐味を再確認し、「どんな小さな会場であっても、聴く人すべてに常にベストな演奏を届けたい」と心に決めたという。
「自分はチェリストになるために生まれてきた」「私は生涯チェリストであり続ける」
自信を持ってそう語るいま、ボランティアで施設を巡り、半径5メートルにも満たないホールでの演奏会もまた、欠かすことのできない発表の舞台になっている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=上野絵里・長峯亮
2009年09月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ140号【市民活動にかける第二の人生 「企業の社会的責任」で支援の輪を】
日野市「CSRを促進する市民の会」副代表 吉野 吾郎さん(68歳)
「今年も充実した一年でした」
年賀状に近況報告を書くとき、この言葉が毎年の決まり文句のようになった。市民活動に打ち込むことで、第二の人生を瑞々しく過ごすことができている――心からそう思える情景が、今の生活の中にあふれているからだ。
「市民活動」への思いが芽生えたのは16年前、52歳のときだった。義母が認知症になって介護に苦労しているとき、近所の人たちが助けの手を差し伸べてくれた。日々の暮らしを営んでいくうえで、地域社会とのつながりが、いかに大切か。そのことを初めて実感させられた瞬間だった。銀行に勤め、システムエンジニアとして仕事一筋に生きてきた。しかし、リタイアする時は必ずやってくる。その後の人生を心豊かなものにしていくには、どういう生き方があるのだろう。「接点」がほとんどなかった地域社会に、どうしたら溶け込んでいくことができるのだろう。
考えた末に59歳で早期退社の道を選び、日野市内の複数の市民団体に所属し活動を始めた。それから10年余りが経過したいま、その中核として取り組んでいるのが、「CSRを促進する市民の会」だ。
市民活動に取り組む団体はいくつもあるが、資金不足から挫折していってしまうケースが少なくない。社会に目を転じると、「企業の社会的責任=CSR」が叫ばれている。それならば、その活動の一つとして、市民活動への支援、助成を多くの企業に働きかけていく運動を起こしてみたらどうか――多摩交流センター長を務めていた諸橋英明さんと意気投合し、2人でこの会を立ち上げた。
企業に賛同してもらえる具体的な活動として、「奥多摩西川花の里」代表・小林勤さんの協力を得て「奥多摩・エコツーリズム体験」を昨年秋から始めている。2回目となる今春は都内一円や神奈川、茨城などから120人が集まり、渓谷歩きや魚釣り、山菜摘みなどを楽しみながら、和やかな人の輪をここでまた一つ作ることができた。
「市民活動をもっと広めていくために支援のファンドや人材バンクを作りたい」
第二の人生にかける夢は、次から次へと広がっていく。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=大友らむね・高市由希帆・二俣友香
2009年8月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ139号【「私の時間、売ります」ネット使って新しい働き方を】
「自分屋24」を主宰する 冨本
梨恵さん(32歳)
無限に広がるインターネット上に自分の名前と顔写真、プロフィール、それに当面のスケジュールやリアルタイムで今いる場所まで公開し、空いている時間に個人や企業から仕事を受け付ける。「自分屋24」の看板を掲げ、「時間」を切り売りする仕事を始めて半年余り。早くも各方面で注目を集め、テレビや雑誌、ネットでも広く取り上げられている。
仕事は「何でも屋」ではなく、新宿から電車で3時間、終電で自宅に帰れる地域から「面白そう」を基準に選ぶ。これまで請け負った仕事は、カメラマンから子守り、焼き鳥屋、音楽コンサートに同伴など20件を超え、そこで経験したことはすべて、「日報」としてホームページに載せている。報酬は依頼主が決め、時給800円、日給2万円、万年筆の現物支給など様々。ボランティアで臓器移植の募金活動を引き受けたこともある。
この仕事を始めたのは、以前に務めていたインターネット関係の会社を昨年9月に辞めてからだ。「何か面白いことはできないか」「社会に新たな生き方を提案してみたい」「多くの職業を体験して自らをもっと高めていきたい」。そんな思いがいくつか入り混じる中で「時間の切り売り」がひらめき、昨年12月、それを立ち上げた。
その後、ウェブデザイン会社に就職したが、「自分屋24」が社の企画としてそっくり採用され、今はそのバックアップを受けながら続けている。
日野市多摩平で生まれ育ったが、振り返ると、子どものころから「自分屋」だった。幼稚園の昼寝の時間には1人だけ寝ないで遊びに熱中した。小学校では暗記中心の勉強に自分らしさを表現できないもどかしさを感じていた。
美大でデザインを学び、社会に出てネットと出会った。そこで思いついたのが、「自分屋24」。この春、ネットのニュースで取り上げられた後、「自分もやってみたい」という問い合わせが殺到した。「企業でふつうに働くのも、時間の切り売り。重要なのは、自分で考え、自分をプロデュースする場がそこにあるかどうか」
「自分屋24」を通し、そのことを伝えていけたらと思っている。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=上口宜子・高橋哲朗
2009年7月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ138号【三重のハンディ背負い 天賦の音楽の才、開花】
「正秋バンド」リーダー 高橋 正秋さん(41歳)
生まれつき目が全く見えない。自閉症で知能の障害も抱える。三重のハンディを背負い、日野市旭が丘の社会福祉法人「東京光の家」で自立訓練を受けながら、園内の音楽クラブ「正秋バンド」のリーダーとしてピアノとボーカルを担当する。結成から20年。人々の心をストレートに揺さぶる独特の音の響きが口コミで伝わり、全国各地からコンサートの依頼が相次ぐ。10年前にはスウェーデンでの公演も果たした。
オリジナルの曲も持っている。
「今を生きて」
バンドの演奏を聴き、谷村新司さんが作詞、作曲してくれた作品だ。演奏の素晴らしさはプロのミュージシャンの間での評判を呼び、谷村さんや水前寺清子さん、さだまさしさんらとのジョイントコンサートも成功させている。
コンサートを前にした5月27日、光の家で研修中の公務員の人たちを前に練習の成果を披露した。「いきまーす」。開始の合図と同時に、同じく重い障害を抱える仲間たちが奏でるドラムやギター、シンセサイザーなどの響きに乗せ得意の曲目を次々に演奏してゆく。民謡「田植え歌」を組み込みアレンジした演歌「津軽平野」、「サライ」、「昴」。室内の空気がどっと押し寄せてくるような迫力に、聴き入っていた1人は「感銘の一言です」とうなった。
岩手で生まれ、幼いころから「天賦」といえる音楽の才を発揮してきた。3歳のときラジオから流れる曲を聴き、そのメロディーをハーモニカで奏でて周囲を驚かせた。オルガンの前に立つと、だれに教わることなく鍵盤の位置と音を知り、音律も自然と体で覚えた。
ピアノに触れたのは、16歳のとき光の家に入ってからだ。曲を聴くと直ちに再現してみせる並はずれた能力に職員が着目し、特技を伸ばす療法として音楽クラブのメンバーに加えた。一度覚えた曲は決して忘れず、レパートリーは数えきれない。
「自分の殻に閉じこもりがちだったのが、音楽の才能を発揮していく中で、周囲の人だけでなく聴衆とのコミュニケーションもとれるようになった」と光の家の田中亮治理事長。
9人のバンドメンバーのリーダーとして、今その表情は自信に満ちている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=上野絵里・澤口真実・成田太昭
2009年6月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ137号【馬との触れ合いで子どもたちの心を育む 小学校などを巡回、弾ける笑顔の輪】
「リトルホースと触れ合う会」 平島
素子さん(47歳)
日野市内の河川敷の一角で同僚の緑川まゆさん(30)=写真右=と2頭のリトルホースの世話を続けて5年になる。白い毛を持ったダンディと黒い毛のジャック。この2頭を連れて市内の保育所や幼稚園、小学校を巡回し、馬との触れ合いを通して子どもたちの情操を育む活動にあたっている。
2004年の春、リトルホースを盲導馬や介護馬として普及させることを目的に市内に設立されたNPO法人に就職、そこでオーストラリアから来たダンディとジャックに出会った。馬に接するのは初めてだったが、乗馬クラブに所属していたNPOの先輩職員に世話の仕方などを一から教わり、5年を経た今では2頭の目の輝きや表情を見て、時々の体調や機嫌の善し悪しを把握できるまでになった。この間、最も苦労したのは疝痛(せんつう)という腸の病気との闘いだった。馬は食べ過ぎやストレスなどが原因で便秘になりやすく、処置が遅れると腸閉塞を起こして命を落とすことも少なくない。ダンディは2回、ジャックも1回この病気にかかったが、緑川さんと一晩中つきっきりで看病にあたり、窮地を脱してきた。
NPO法人はその後、日野市から去ったが、市内の有志によって2007年1月に「リトルホースと触れ合う会」が発足。そこから保育所や幼稚園、小学校の巡回訪問を本格的に始め、その回数はいま、年間で100回近くにものぼっている。
訪問のときは、先生たちと綿密な打ち合わせをし、子どもたちには「馬と仲良くする3つの約束」を守ってもらっている。
@ 馬に話しかけるときは静かな優しい声で。
A 馬に近づくときは顔の前から。
B 馬のそばを通るときは静かに歩く。
ダンディとジャックの体に触ったり、引き綱を持って一緒に歩いたり、背中に乗ってグラウンドを回ったり。そのときに見せる子どもたちの弾けるような笑顔と2頭の馬の得意そうな表情。先生たちからはときに「あれから子どもたちが優しくなった」と言われる。馬と触れ合う中で、子どもたちが相手を気遣い、ルールを守る気持ちを育んでくれている。巡回訪問は2人にとって、そのことを実感できる現場である。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=上野絵里、佐藤麻理絵、成田太昭
2009年5月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ136号【4オクターブの音色 200曲を超えるレパートリー 草笛を「楽器」として芸術のレベルに】
「枯れ草笛」奏法を編み出した
庄野 正幸さん(76歳)
ゆったりとした時間が流れる午後のひと時、日野市内を流れる川の岸辺に足を運んでは、口元にあてた1枚の葉を震わせ、バイオリンを思わせる美しい音を響かせる。枯らした草の葉で独特の奏法を編み出して15年。この奏法を芸術のレベルにまで引き上げたいと今も日々、その技に磨きをかけている。
普通の草笛の音域は1・5オクターブ、熟達した人でも2オクターブが限界だが、枯れ草笛は4オクターブと広い。童謡から歌謡曲、ポップス、さらにはクラシックまでジャンルを問わず曲を奏でることができ、そのレパートリーはすでに200曲を超えている。
とはいえ、この枯れ草笛は、「偶然」から生まれたものだった。
38年勤め上げた大手フィルム会社を定年退職し、多摩川沿いをサイクリングしていたとき、草笛を吹いている人に出会った。音色に引かれ草の葉を口にあててみたが、「ピー」という音さえ出ない。それでも諦めず練習に励んでいたある日、草笛に用いる葉の保管ケースを河川敷に置き忘れた。数週間後にそれを見つけたが、葉は日光にさらされ色が抜け落ちてしまっていた。何気なくそれを口に当て、息を吹きかけてみた。すると、簡単に音が出た。それどころか、左右に強く引っ張っても葉は切れず、思ってもいなかった高い音も出てきた。
「これは楽器になる」
会社に勤めていた当時、ずっと自分を支えてきた「研究への情熱」が、ここで再び頭をもたげた。以来、枯らした葉を左右に伸縮させたり、指先で葉の長さを調節したりしながら、独特の奏法を編み出すための研究に没頭。同時にコンピュータを使って枯れ草笛の音程を解析して図表化するなど、科学的な面からの考察も重ねてきた。
川の岸辺で枯れ草笛を吹いていると、道行く人がしばし、たたずむ。年に数回は市内の福祉施設でコンサートを開き、郷愁感の漂う音色を披露する。草笛を「楽器」の域に高め、そこから編み出した音の調べで多くの人が喜んでくれている――そのことを実感できるとき、何ともいえない幸福感を味わうことができるという。
(演奏法を知りたい方は「庄野正幸」でネット検索)

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=高橋哲朗
2009年4月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ135号【映像を通して子どもたちに自然と触れ合う機会を生き物を愛する心を育てたい】
日野の自然を撮り続ける 井上
録郎さん(58歳)
平日は東京学芸大学の学術情報部に勤め、週末は映像作家に変身する。レンズを向けるのは、日野市に広がる自然と風景だ。独学でプロ顔負けの腕前を習得し、昨年は市内の川や森に生息する魚や野鳥の姿を追った作品「生きものいっぱい ふるさと日野」を「心に残る故郷ビデオコンテスト」に出品、全国からの応募作518点の中で堂々の2位に輝いた。
子どものころから美術に強い関心があり、一時は彫刻家を目指したこともあった。ビデオカメラは24年前、生まれた長男の成長記録にと手にしたものだったが、ここでも持ち前の美術の才能が頭をもたげ、いつしか本格的な映像制作の道にのめりこんでいた。 この間、「教材」としたのは、葛飾北斎の絵だ。とくに「富嶽三十六景」の描き方はカメラの広角レンズや望遠レンズを使った手法に通じ、画面の構成を考えていくうえで格好の手本になったという。
撮影のときは20キロを超す機材を肩に多摩川や谷地川、百草の森などに出かけ、魚や野鳥などが見せる感動的な一瞬を狙う。そのために何時間でもカメラを構え、中腰のまま6時間、それを3日も続けてヤマベの産卵を映像に収めたこともある。
地元の自然を題材に、こうした活動を続ける視線の先にはいつも子どもたちの姿がある。これまでに収めた映像は80分テープで100巻ほど。その中から感動的な場面を選び編集しては市内の小学校で上映する一方、「大坂上中学校地区親父の会」代表も引き受け、子どもたちと一緒に市内の川や森などで自然と戯れるイベントなども続けてきた。
感受性の強い子どものときこそ自然の中で遊び、様々な生き物にじかに触れることがいかに大切かということを、八王子で生まれ育った自らの原体験から学びとった。
それならば、自然との触れ合いが少なくなった今の子どもたちに、まずは映像を通して自然への関心をかきたて、次に自然の中に連れ出して様々な生き物にじかに触れさせてあげよう――活動の根幹にはそうした思いがあり、そこで育った子どもたちがゆくゆくは、「心の豊かな町・日野」を創り上げて行く大きな力になってくれると信じている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=澤口真実・高市由希帆
2009年3月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ134号【発達障害を抱えた人たちに漆塗りの技能を広がる支援の輪】
認定NPO法人「工芸技能研究所」理事長 和田 伊都子さん(47歳)
自閉症やダウン症など発達障害を抱える人たちが社会で一本立ちしていけるように――そうした思いを込めて日野市落川に漆塗りと綴織の技能を教える「工芸技能研究所」を設立して7年。自ら漆塗り作業の現場に立ち、綴織の作業を担当する夫と二人三脚で、その指導にあたってきた。
漆塗りの技能を身につけていくうえで何より大切なのは、「続ける」ことにある。工程は下地塗り、中塗り、上塗りの3つに大別されるが、工程ごとに塗り・砥ぎ・艶出しなどの作業を何回も繰り返さなければならない。多くの人はそれで挫折していってしまうのだが、発達障害を抱えた人、中でも自閉症の人たちには、これが「適した作業」として受け入れられている。 自閉症の人は、些細なことにこだわったり、決まった通りの行動をとらないとパニックに陥ったりすることがある。多くの工程を、決められた手順で黙々とこなしていかなければならない漆塗りのような作業だと、その症状が逆に生かされ、集中力を高めながら作品づくりに取り組んでいけるからだ。
研究所には工芸技能養成所と工房の2つがあり、生徒は養成所の研修コース(4年)から専門コース(3年)に進み、ここを修了すると工房に移って受注した作品の制作活動に入る。現在は18歳から30歳代の12人の生徒が在籍し、うち8人が工房に立つ。
指導のモットーは「あせらず、ゆっくり」。出来ないことには決して叱らず、出来たことをほめる。おどおどしていた生徒も1年後には見違えるように明るくなり、自信に満ちた表情に変わってくる。
新宿で生まれ、中学1年のときに日野に移り住んだ。教師を目指して立教大学に進んだ後、東京学芸大学で特殊教育を学んだ。伝統工芸を教える専修学校の教員になり、そこで出会った講師からの勧めで漆塗りの技能を修得した。
伝統工芸の技に挑む生徒たちの姿を見て、いま多くの人たちが研究所の運営に支援の手を差し伸べてくれている。その気持ちに応えるためにも、「1人でも多くの生徒たちを職人の域にまで育てあげ、優れた作品を生み出していきたい」という。

《記事と写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=澤口真実・高市由希帆
2009年2月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ133号【ドラマのロケを日野に呼ぼう 活動8年、市や学校も全面協力】
「NPO法人 日野映像支援隊」代表
中川 節子さん
小中学校や市営住宅、病院やモノレール。日野市内の馴染みの光景が最近、テレビの画面にしばしば登場するようになった。それは偶然というわけではなく、そこには、ドラマやCMなどのロケを誘致して地域の活性化を目指すフィルム・コミッション「日野映像支援隊」の活躍があった。その代表として8年。地道な活動が実り、映像制作会社からロケの依頼が殺到するほどの盛況振りを見せている。
「支援隊」の活動は制作会社にロケ地を紹介することから始まり、エキストラの募集やロケ現場での立ち会い、完成した作品の広報など多岐にわたる。
ロケ地の確保には行政の協力が欠かせない。当初、市の関心は低かったが、「町の活性化につながる」と市長にも直談判し、やがて学校などの公共施設を全面的に使用させてもらえるようになった。
ロケの後には「撮影機材で壁を傷つけられた」「教室の机や椅子の配置を変えられた」といった苦情が寄せられることがある。日野では少しのトラブルも起こさないよう自らロケ現場に立って目を光らせ、スタッフに現状復帰を徹底させた。そうした活動を重ねた結果、信頼が全体に広まり、ロケ地の学校の校長先生が自らエキストラとして撮影に参加してくれるまでになった。
金沢で育った。26歳のときに上京し映像スタッフとして働いた後、45歳で映像制作会社を立ち上げた。キー局でプロデューサーを務めた経験もある。
取材で日野市を訪れて気に入り、12年前に世田谷区から移ってきた。豊かな水と緑に恵まれた地で暮らす中、以前から抱いていた思いがよみがえった。「楽しさ一杯の人生を与えてくれた映像を使って社会や地域に何か恩返しをしたい」
映像は素人だが「日野が大好き」という8人が加わって結成された「支援隊」は、いま40人を数える。市民の主導で始まり、自治体とここまで強い協力態勢を築き上げたロケ誘致活動は全国的に珍しく、今後はこれを多摩地域全体にも広めていきたいと思っている。
「大きな夢がある。でも、今は言えない」
60代という年齢を感じさせない行動力。映像にかける情熱はまだ少しも衰えてはいない。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=高橋哲朗、二俣友香
2009年1月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ132号【ミニ破魔弓で正月の風習を残したい
弓と矢の機能美を追い求めながら】
日野市の破魔弓工房「鈴藤」5代目 鈴木 藤隆さん(60歳)
男子が誕生した初正月に魔除けのお守りとして飾る破魔弓。江戸時代から伝わる郷土の風習を今の時代に残し、次の世代に受け継いでいきたい。そうした思いから団地の居間にも置けるミニサイズの破魔弓を考案し、工房ブランド「寿々登」(すずとう)の伝統を守りながら、多くの人に親しんでもらえる新たな作品作りに挑戦し続けている。
ミニ破魔弓の構想が浮んだのは、20年ほど前のことだ。第2次ベビーブームが過ぎて子どもの数が減っていく。核家族化が進んで昔ながらの民家は減り、地元に伝わる文化や風習への関心も薄れていく。そんな時代の流れの中で破魔弓の注文も目立って減少し、工房の先行きに強い危機感を抱いたことがきっかけだった。以来、試行錯誤を続けること5年。高さを30センチほどに縮小し、都会の一戸建てや団地などの居間に置けるサイズの作品を考えついた。
破魔弓といえば大きなもので2メートル、小さなものでも70センチはある。その半分以下というのは「破魔弓作りの常識を覆す」試みであり、部品が小さくなることで作業も格段に難しくなる。それでも、弓の滑り止めに籐(とう)を巻きつけ、矢には鳥の羽を使うなど本物の弓矢と同じ素材にこだわり、見えないところ、細かな工程の一つひとつに手を抜くことなく試作を続け、小さいながらも重厚さをそのまま残した製品に仕上げることができた。
物心ついた時から家業の破魔弓作りは生活の一部だった。大学3年生の時に先代の父親が亡くなってから本格的に工房に入り、10年ほどの下積みを経て後を継いだ。先代から受け継いだ作品の中には、現在の天皇陛下が誕生されたときに皇室に納めた「天覧品」モデルもある。
1シーズンに工房から出荷する破魔弓は約2000本を数え、その2割ほどをミニ破魔弓が占める。正月の風習を継承できていることに一つの満足感を抱きながら、弓と矢の本来の機能美をさらに追求していくべく、いまも古文書を開き、展示会にも足を運んでは無用な飾りをそぎ落とした「美」を体感し、その成果を新作モデルに生かしている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=小野恵理・佐藤麻理絵
2009年1月1日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ132号【ご愛読感謝の集い ギター・ピアノコンサート】
12月19日(金)日野市民会館大ホールにおいて、ご愛読感謝の集い「ギターピアノコンサート」を開催しました。有料(500円)でしたが、約850名の方からお申込みがあり、ご来場者は683名様でした。ご来場になった皆様は、一足早いクリスマスコンサートを楽しまれたのではないかと思っています。

▲演奏前の音あわせをする演奏者▲

▲会場内はご来場の皆様で満席状態▲
2009年1月1日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ131号【生ごみの再利用で日野に循環型社会を
障害者団体と連携、広がる環境保護の輪】
「まちの生ごみ活かし隊」代表 佐藤 美千代さん(46歳)
地域を回り台所から出る生ごみを自分の手で集め、畑の土に還す。臭気と泥にまみれた作業なのに、顔はいつも笑っている。その表情は、土と戯れる子どものように弾けている。
居住する日野市新井で「まちの生ごみ活かし隊」を立ち上げたのは2年前のことだ。地元・日野市立第8小学校区域の住民、市内万願寺の障害者福祉団体「NPO法人やまぼうし」と連携態勢を組み、毎週木曜日に「やまぼうし」の人と軽トラックで区域内の家々を回って生ごみを集め、「活かし隊」が所有する畑で堆肥にする。その豊かな土で無農薬野菜を栽培し、収穫した作物は無人販売所や月に1回催される野菜市に並べて住民たちに販売する。
子どものころから自然環境の保護に熱い思いを抱いてきた。大学は農学部の環境保全学科に進み、卒業後もその分野で貢献できそうな会社に就職した。しかし、「エコ」など話題にも上らなかった時代だ。利益至上の企業に身を置きながら環境問題に取り組んでいくことに限界を感じ、志を同じくする市民団体こそ自らの思いを実現できる場なのではないかと考えていた。
そんな折、10年ほど前に中学校の教師をしている夫の転勤で世田谷区から日野市に移り住んできた。「清流の町」と呼ばれ、豊かな自然に恵まれた地域。環境保護に熱心に取り組む人たちは多く、とくに地元では当時、生ごみの減量と再利用について真剣な議論がたたかわされていた。自らもその輪の中に入り循環型社会の実現に向けて活動を続け、2006年に22世帯でスタートした「生ごみ活かし隊」はいま126世帯にまで広がり、年内には200世帯を超える勢いだ。
「1人ではできなくても、多くの人が結集すれば可能になることがたくさんある。自分たちがそのための『潤滑油』の一部になれたら」
生ごみの再利用は可燃ごみを減らし、二酸化炭素の削減につながる。地球温暖化が進む中、それに少しでも歯止めをかけていくためにも、この運動をさらに広げていきたいと思っている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=高市由希帆・塘周作
2008年11月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ130号【子どもたちが外で安心して遊べる町に祭りをきっかけに商店と子どもの交流の輪を広げよう】
多摩平ハロウィン祭実行委員長 佐藤昭明さん(61歳)
とにかく子どもが大好き、そして、世話好きだ。その人柄が慕われ、日野市多摩平で営む自転車店「日野サイクル」には地元の子どもたちがしばしば顔を出し、明るい笑い声に包まれる。多摩平ハロウィン祭に取り組んできたのも、子どもたちへのそうした思いが募ってのことだった。
「子どもは家庭で育ち、学校で学び、地域で伸ばす」が持論だ。しかし、子どもたちが命を奪われる悲惨な事件が絶えない。物騒な世の中にあって、子どもたちが外で安心して遊べる町を作っていくために自分たちに何か出来ることはないか。それにはまず、地元の商店会と子どもたちの交流の場を作り、その輪を広げていくこと。子どもたちが危険に遭ったとき、避難場所として商店に安心して飛び込んでいけるような町作りを急ぐこと。仲間と話し合いを続ける中で、この祭りのアイデアが生まれ、以来、委員長としてその活動の先頭に立ってきた。
ハロウィン祭はキリスト教の万聖節の前夜祭にあたる行事だ。10月31日の夜、欧米などでは家々に巨大なカボチャなどが飾られ、魔女やお化けに仮装した子どもたちが「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を訪ねて回る。
当時、日本ではまだ馴染みが薄く、カボチャのくりぬき方も分からない中でのスタートだったが、回を重ねるごとに地域に根付き、9回目の昨年は当初の9倍の1800人の子どもたちが参加。魔法使いやアニメのキャラクターなどに仮装した子どもたちが道にあふれる情景は、いまや多摩平の秋の風物詩にもなった。
今年の祭りは、10月26日の午後に行われる。10回目の節目を前に、飾り付けやお菓子の手配など準備に追われながら、目は子どもたちに負けないくらい輝いている。ハロウィン祭が各地にも広がってきたいま、「多摩平のオリジナリティーを」という思いもあるが、改めて原点を見据え、地域と子どもたちとのつながりを深める手がかりとして、この祭りをさらに実りのあるものにしていきたいと言う。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=長峯亮・松井千明
2008年10月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ129号【子どものときから農業の理解者に無農薬栽培で「食の安全」を学習】
小学生に給食用野菜の農業体験学習を指導する 小林 和男さん(51歳)
土を耕して種をまき、草取りなど畑の手入れを積み重ねたうえで、ようやく収穫にこぎつける――そうした農作業を体験させながら、給食の食材に使う野菜の作り方を日野市内の小学生たちに教えて8年になる。学校と協力して畑の一角に「学童農園」を設け、農薬は使わないようにして様々な野菜作りの指導に当たり、高学年の子どもたちには地元に古くから伝わる「平山陸稲(おかぼ)」や古代米の栽培にも挑戦させている。
学童農園では「仲良しのおじさん」として接する。無農薬なのでせっかく育った葉や実が虫に食べられたり、病気にかかったりして時に野菜が全滅してしまうこともある。しかし、それこそが「食の安全」を学ぶ生きた教材。「虫も安心して食べている」と子どもたちに語りかける。農薬を使わずに野菜を育てるには細やかな手入れが必要なことを教え、全滅させてしまわないための方法も考えさせる。
農業体験学習に携わろうと思い立ったのは10年ほど前、ベッドタウン化が進み畑の周囲に住家が建ち並んでいく中、近隣住民との間で思わぬトラブルが目立ち始めたときのことだった。
肥料の灰を作るために焚き火をすると周囲の住家から「煙が臭い」と苦情が寄せられる。丹精を込めた畑に子どもたちがゴミを投げ捨てていく。「このままでは、農家と近隣の住民とが敵対関係のようになってしまう」
そうならないために、浮かんだアイデアが、多くの人たちに農業のよき理解者になってもらうこと。その取り組みの一つとして、「まずは子どもたちに農業の大変さ、大切さを学んでもらうことから始めよう」と考えた。
日野市平山で生まれ、大学で考古学を学んだ後、家業の農業を継いだ。日々の忙しさの中で農業体験指導が重荷になるときもあるが、土にまみれ、楽しそうに笑顔を浮かべる子どもたちの表情を見ると疲れは吹き飛ぶ。
そんなとき、「子どもたちから力をもらっている」という思いとともに、「農業を理解し、食に関心を持ってもらえる『種』を子どもたちに蒔いている」という確かな手ごたえを感じることができると言う。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=上野絵里・成田太昭
2008年9月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ128号【使う野菜は日野市平山の地元産「農家との合作」で新メニュー作りに挑む】
フランス料理店「レストラン木馬」オーナー 田後 鉱四郎(47歳)
取材を終えランチコースを注文した。スープを口にして、その甘みに驚いた。砂糖を使っているのだろうか?その絶妙な甘さは実は、素材の新タマネギから引き出された味だった。
この新タマネギは日野市平山の畑で栽培されたものだ。これだけでなく、店で料理に使う野菜のほとんどが平山の産。店の周囲に点在する畑に出向き、自らの手で野菜を収穫して回るのが、毎朝の日課になっている。
ベッドタウン化が進む中、平山にはまだ畑が多く残っている。ここの野菜に着目したのは、農家の方が農薬をほとんど使わず、土にこだわりを持ちながら手間をかけ丁寧に栽培しているのを知ったからだ。鮮度は申し分なく、当然、味も良い。2005年に今の地に店をオープンしたときから、料理で使う野菜は地元産と決めた。
ジャガイモ、キャベツ、トマト、キューリ・・・。どの野菜も農家の方が種を蒔き、収穫するまでの全過程を見てきている。それだけに、野菜への愛情が沸き、野菜が持っている味を最大限に引き出してあげたい、という思いにもかられる。
その調理方法は、「出来るだけシンプルに」。新タマネギのスープも、スライスし焦がさないよう1時間ほど丹念に炒め、あとは鶏ガラのコンソメなどで煮ただけだ。新タマネギは炒める時間が長いほど、その奥に潜んだ甘みがにじみ出てくるのだという。
自信作の一つにトマトのデザートがある。平山の畑を歩いているうち、飛び切り甘くて瑞々しく、しかし、サラッとした味を持つトマトを見つけた。これを使って独自のデザートを作れないか。ゼリーを詰めてみたり、ムースにしてみたりと試行錯誤を重ねた末、行き着いた調理方法は、やはり「シンプルに」。リキュールにグレープフルーツの果汁、シナモンなどを加え、皮をむいたトマトをそれに漬け込むことで、思い通りのデザートを作り出すことができた。
開店した当初は、収穫した野菜をその場で計りにかけて買っていたが、いまは、畑から直接収穫し、まとめて「自己申告」で代金を支払っている。その間にあるのは「信頼」の一語。お客に提供する料理は全て、「地元農家の方との合作」と考えている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=大友らむね・成田太昭
2008年8月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ127号【「ほめて伸ばす」で合気道を指導 稽古を通して育む思いやりの心】
日野市合気道連盟代表 斉藤 治雄さん(61歳)
正座して向かい合い、両腕で思い切り押してみた。しかし、白髪、173センチ、63キロの体はびくともしない。スッと体をかわされた。その途端、記者の体は畳の上に転がっていた。
2時間半を超える稽古の後でも呼吸の乱れはない。合気道歴30年で6段の腕前。建設業と不動産業を営む傍ら、2年前から日野市南平体育館を稽古場に合気道の普及にあたっている。
稽古は毎週月曜日と木曜日の夕方6時から始める。子どもと一般の2つのコースに分け、計40人ほどの「門下生」を相手に8時半まで休みなく指導に当たる。
子どものコースでは、礼と受け身の練習にとくに力を入れ、けがをしない、けがをさせないというルールを決めて徹底させている。年に数回開かれる演武会。子どもたちの受け身の美しさに多くの人が驚く。一般のコースは中学生から60歳代の人まで年齢は幅広く、それぞれが自分のペースに合わせて稽古を積むようにしている。若い人は上段者に挑んで技を磨き、お年寄りは健康維持を第一にゆったりと汗を流す。
指導方針は「ほめて伸ばす」。「合気道はお互いを思いやる、気遣う武術」とも説き、相手をいかに痛めないように技をかけるかを自らも常に考え、奥義を追求してきた。その考えを受け継ぎ、巣立っていった門下生の何人かはいま、全国各地の道場で師範代を務めている。
30年ほど前のこと、小学生だった娘さんが合気道を始め、その稽古を見に行った。派手な投げ技ではなく関節技で競うこの武術の面白さに、たちまち魅入られた。「これなら年をとっても続けることができる」。そう思って近くの道場に通い、受け身の稽古を積み重ねた後、33歳のときに初段に昇格。その後、順調に昇段を続け、いつしか師範の地位に立っていた。
いま最大の楽しみは、子どもたちや若い人たちが合気道の稽古を通して、精神的にも肉体的にも成長していってくれることだと言う。
稽古で汗を流した後、ときに門下の学生たちと街の居酒屋に繰り出す。「若い人たちの話についていくのは大変だけど、その会話に加わっていくことで自分もまた若いままでいることができる」

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=佐藤麻理絵・高市希帆・長峯亮
2008年7月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ126号【朝日新聞女性記者「中山由美」講演会】
南極から地球が見える=地球異変を探る現場から=
6月15日(日)日野市民会館大ホールにおいて、女性記者として初めて南極観測隊に同行した、朝日新聞記者の「中山由美」講演会を行いました。約487名の方がご来場になりましたが、中山さんのプロジェクターを使った講演を聞き、あらためて地球環境問題について考えさせられたのではないでしょうか。この美しい地球を将来も大切にして守っていきたいものです。

会場内で講演開始を待つご来場の皆さん

中山由美さんの直筆サイン入り本を購入するご来場の皆さん
2008年6月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ126号【ダンスを通して「喜びの輪」を広めたい
子どもから母親、学生まで30人を指導】
日野市でヒップホップダンス教室を開く 佐々木 和晴さん(40歳)
銃や暴力ではなく、踊りで勝負をつけよう。ヒップホップダンスは、そうした思想に立ってアメリカのスラム街で生まれた。頭を床につけて体を回転させる。ロックのリズムに乗って全身を躍動させる。ロボットのように腕や脚を動かす――3つの動作を取り混ぜながら、技の巧拙を競い合う。
その踊りを地元の子どもたちに伝えたいと、日野市内のスタジオで週3日の教室を始めて4年になる。幼児ら4人でのスタートだったが、ダンスの面白さ、指導の熱心さが評判を呼んで「入門」が相次ぎ、教室はいま、お母さんたちや学生らも含め30人ほどの熱気であふれている。
ヒップホップとの出会いは、思えば「運命的」だった。故郷の北海道でサッカーに打ち込んでいた高校1年生のとき、通りかかったレンタルビデオ店の店頭で放映されていた1本の映像に目が釘付けになった。映画「ブレイクダンス」の1シーン。「こんなに格好のよいダンスがあるのか」。以来、その魅力の虜になって自己流で練習を積み、いつしか「道内ナンバーワン」にランクされるまでになった。
「次は全国で通用するダンサーに」。夢を抱いて27歳のときに上京し、朝日新聞販売所に勤めながらイベントやテレビCMにも出演し、プロダンサーとしての活動を続けた。
そうした生活を送る中、4年ほど前に大きな転機が訪れた。きっかけは、仕事で訪問していた新聞の読者から「教室を開いて子どもたちにダンスを教えてほしい」と頼まれたことだ。「いままでは自分のために踊ってきたけれど、このまま続けていていいのだろうか」。そんな疑問が自分の中に広がり始めていたときでもあり、「そうすれば、人のために、社会のために自分のダンスを役立たせていくことができる」と教室の開講に踏み切った。
北海道にいた当時、頼まれて耳の不自由な人たちの前で公演したことがある。音は聞こえないのに、会場にいた人たちは心から楽しみ、喜んでくれた。そうした「喜びの輪」を自分の踊りで少しでも広めていきたい。そのために今、老人ホームなどを訪問しチャリティーで公演するチームの結成も急いでいる。
連絡先=「ASA日野」(042-581-3882)

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=上口宜子・座間真知・実延達郎・塘周作
2008年6月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ125号【水辺で遊び、自然と触れ合うその場を造り、子どもたちに伝えたい】
「水辺の楽校(がっこう)」運動の先駆者 笹木 延吉さん(64歳)
子どものころ、近くを流れる浅川が遊び場だった。川に行くといつも仲間がいた。そんな日常の中で水辺での様々な遊び方を覚え、自然と触れ合うことの大切さも学んでいった。そうした自分の体験を多くの子どもたちに伝えていきたい。そう思い立ち、日野市で続けてきた地道な活動は国土交通省による「水辺の楽校」プロジェクトの先駆けとなり、その「楽校」はいま全国249もの地域に広がっている。
22歳のときに日野市役所に土木技術職として入り、1990年に水路清流課(現・緑と清流課)の課長補佐に就いたとき、浅川から引き込まれた向島用水の大改造計画に取り組んだ。
コンクリートで固められた用水を土の護岸にし、隣接する潤徳小学校に水を導いて池を造る。そうすることで、多くの生き物が棲み、子どもたちが遊べる水辺を造りだすことができる。
そう考えてのことだったが、地元の住民からは「立ち入る人が増えて騒がしくなる」、学校からも「校内に人が入ってきて防犯上、問題がある」と強く反対された。それでも学校関係者や住民たちと話し合いの場を持ち、自らの原体験をもとに粘り強く説得にあたる一方、農水省にかけあい総工費2億円のうち1億5000万円の補助金を得て、イメージ通りの水辺を造り上げた。
その完成度の高さがいつしか評判となり、当時の建設省河川局の担当者が視察に訪れた。それがきっかけとなって1996年、新たなプロジェクトとして「水辺の楽校」推進運動が始まり、自らが手がけた水辺も2003年に国交省から「浅川潤徳水辺の楽校」として登録された。
4年前に環境共生部長を最後に市役所を退職した後も、この「水辺の楽校」を支えるスタッフの中心としてボランティアで活動を続ける。水遊びをしたり、川や用水の清掃などにあたったりする子どもたちの生き生きとした姿。そこで学んだことをしっかり発表している子どもたちの輝いた表情。
「自分の自然へのこだわりを満足させるために続けているだけです」と言いながらも、そうした光景を見るたびに自然と触れ合うことの大切さを実感することができ、それが活動を続けていく原動力にもなってくるという。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=實延達郎・高橋哲朗・長峯亮
2008年5月18日(火)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ124号【戦時中に与えた被害復興の役に立ちたい
「市民の生活向上に功績」ベトナム政府から勲章】
80歳まで東南アジアで技術支援を続けた 半田 浩三さん(87)
戦争で大きな被害を与えた東南アジアの人たちに、農機具や車、電気製品などの技術を無償で伝えたい――そう思い立ったのは、57歳のときだった。それから80歳までの22年余り。日野市日野の自宅を離れ、単身で東南アジアや南太平洋の国々を回り、国の将来を担う若い人たちに知識と技のすべてを教えてきた。
戦時中は爆撃機の乗組員として東南アジアの戦線に加わり、終戦後も2年間、イギリス軍の捕虜となって東南アジアの国々を転々とした。帰国してからは飛行機や車の整備にあたっていたが、1977年に事故に遭って退職、療養生活を送っていたときに目にした1つの新聞広告が、その後の人生を大きく変えた。
その広告は、定年退職した人らを対象にボランティアを募るもので、すぐにそれに応募した。その背景には、戦後に慰霊団としてビルマ(ミャンマー)を訪ねた際、戦災復興が一向に進んでいない現地の情景を目にしたときの衝撃があった。
まず派遣されたのは、南太平洋の島国・ナウル共和国。1983年からはマレーシアに渡り、9年滞在して日本製の農耕機の使い方やメンテナンス、修理の技術を伝えた。1994年からはベトナム政府からの要請に応えてハノイに飛び、6年にわたって農耕機や電気機器などのメンテナンスや修理の技術を教えた。
ベトナム滞在中には、ベトナム政府から日本人第一号として勲章を授与された。電圧の不具合から頻繁に停電が起きているのを見て、コイルを使ったモーターの1種である「巻き線」に着目。スクラップ置き場などから材料を集めて製造方法を教え、これが国内に普及した後、停電は激減した。「市民の生活を格段に向上させた」。そう評価されての受賞だったという。
「現地に立つときは、いつも嬉しくて仕方がなかった。その国の人たちのためのお役に立つことができる。何より自分のやるべきことの責任の大きさが痛感できたから」
教え子の数は1000人を超える。その活躍する様子を知るたびに、いま改めて喜びと達成感を感じる、とも言う。
戦時中、搭乗していた爆撃機が墜落する事故に2度もあったが、いずれも軽傷ですんだ、その「不死身」ともいえる頑健な体は、風邪をひいた記憶がないほど、今も健在である。

2008年4月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ123号【ご愛読感謝の集い「無料映画上映会」3月2日、日野市民会館】
3月2日(日)、日野市民会館大ホールにおいて、恒例の無料映画上映会を行いました。
今回は新しい試みとして、1部2部をご愛読者向けに、3部は子供達を優先してご招待致しました。また、1部と2部の間に、日野の「佐々木ダンスチーム」の小中高の生徒達にダンスを踊ってもらいましたが、会場の読者の方からは沢山の拍手をいただき、子供達も大変喜んでいたのではないかと思います。合計来場者は約2600名様でした。

▲上映前に舞台でダンスを踊る「佐々木ダンスチーム」の生徒の皆さん▲

▲列をつくり開場を待つ大勢のご来場の皆様▲
2008年3月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ123号【沖縄の美と情感を絵で表現したい「文化は人の人たるゆえん」】
琉球舞踊を描き続ける 中平 三千彦さん(71歳)
「心に感じた想いを絵で表現したい」。そう思い立って油絵を始めたのは50歳のときだった。花や風景、人物などを題材に仕上げた作品は100点を超え、いまは琉球舞踊の世界を油彩で再現すべく日ごとキャンバスに向かっている。
日野市西平山5丁目の自宅の居間には、完成させた琉球舞踊の作品がいくつも飾られている。赤や黄の原色で彩られた衣装、演者の流れるような動きが鮮やかに描かれ、じっと見ていると、演者の内に秘められた情感まで伝わってくるようだ。
琉球舞踊に魅せられた伏線は、8年ほど前、夫婦でスペインに旅したときに見たフラメンコだった。その情熱的な動きに感動し、「踊りを描きたい」と日本各地の踊りを研究していく中で、琉球舞踊に出会った。DVDに収められた衣装の美しさ、一つひとつの動きの優しさ、奥ゆかしさ。歌詞に込められた沖縄の人々の情感の豊かさ。すぐに沖縄に飛んで1週間滞在し、その踊りを何回も目の当たりにして、「これを絵で表そう」と心に決めた。
油彩の作業は、縦が60センチ、横が50センチほどの12号のキャンバスを用い、沖縄で自ら撮影したスチール写真をもとに進める。その写真は、演者に頼んで踊りを再演してもらい、歌詞を手元に「ここだ」と感じた一瞬の所作を、20分の1のシャッタースピードで切り取ったものだ。
「沖縄の色」ともいえる独特の色合いは、光の加減で変化し、その度合いによって絵全体の雰囲気が変わってしまうことがある。舞台での色彩をどうしたら絵で再現できるか。いくつもの色を混ぜ合わせながら試行錯誤を重ね、途中で何回も立ち止まりながら、ようやく納得のいく域に達することができた。
演者の目の位置、唇の色、背景の配色にも細心の注意を払う。そこを少しでも違えると、実際の踊りとは異なった絵になってしまうという。
「文化というものは人が人たる所以(ゆえん)」。沖縄に伝わるその文化に敬意を抱きながら琉球舞踊をこれからも描き続け、いつかは画集にまとめて沖縄の人たちに贈りたいと思っている。

《取材と記事・写真》中央大学ジャーナリズムゼミ=実延達郎・長峯亮
2008年3月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ122号【餅つき(日野市立東光寺小学校)】
田植えから、稲刈り、脱穀、餅つきまでの総合学習
1月26日(土)、日野市立東光寺小学校で餅つきが行われた。
この行事は毎年恒例となっており、地元農家、保護者、PTA、校友会など、地域の方々の協力のもと、総合学習の一環として行われている。
地元農家の方々の指導のもと、今年は5年生78名が、田植え、稲刈り、脱穀まで経験し、94Kのもち米を収穫した。当日の持ちつきは大いに盛り上がり、成功を収めた。
地元に密着し、従来の教育には無いアプローチで人間性を磨く総合学習。今後ますますの発展を願いたい。
写真は東光寺小学校で餅つきを行う子供達と、指導した地元農家や保護者の人達
2008年2月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ122号【日野で学生下宿続けて37年 いつも前向き、パワフルに】
「平ユースマンション」オーナー 平 君子さん(64歳)
何事にも前向きでパワフル、そして、お茶目なおばさんでもある。
自らのホームページには若き日のオードリー・ヘップバーンの写真をあしらい、その脇に小さな字で自分の「イメージです」。45歳のときから本格的にテニスを始め、60歳の誕生日には耳に穴をあけてピアスをつけた。
学生の下宿屋を始めたのも、この持ち前の性格と行動力があってのことだった。
幼い長女の手を引きながら八王子市内の児童養護施設で働いていた38年前のある日、いくつもの大学が都内などから多摩地区に移転してくることを知った。子どものころから「おせっかい」で知られた性格。「学生たちの世話をするのは性に合っている」
突然に飛び出した「学生下宿」の計画に夫や家族は猛反対だったが、1人で銀行に出向いて建築資金の融資を頼んで回った。頭金もない26歳の主婦に銀行は一様に冷たかった。しかし、「一度決めたことは貫き通す」心意気で金融機関を回り、ついに農協から900万円の融資に成功。翌年の1971年、日野市南平の自宅敷地に木造8部屋の建物を完成させ、朝と夕の2食付き、月3万5000円の家賃で開業にこぎつけた。
さらに5年ほどたって自宅の2階に10部屋を増築。その後、2棟の建物を新改築し、いまは「平ユースマンション」の看板を掲げて22人の男子学生の生活の世話に当たる毎日を送る。
食事は栄養のバランスを考えながら、ソースに至るまで出来るだけ手作りにこだわる。食べ物の好き嫌いは認めず、学生たちにはいつも親への感謝を教える。
ここを巣立ち社会で活躍しているOBが時おり訪ねてきては、下宿時代のあれこれについて現役の学生たちと語り合ったり、就活での面接指導にあたったりしている。そんなとき、OBたちが決まって口にする言葉がある。
「ここは僕たちの第2のふるさと。だから絶対にやめないでね」
いま一番の喜びは、学生たちが希望の職に就くことができたときだ。経済的に楽ではないが、その思いに浸り、OBたちの言葉を聞くと、体の動く限り下宿屋を続ける意欲がわいてくるという。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=石黒さくら・斎藤すなお
2008年2月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ121号【実物そっくりの蒸気機関車を作る「100年生きても足らない」】
ミニSL作りの「匠」 滝瀬 明さん(70歳)
「ミニ」とはいえ、長さ2メートル、重さ200キロもある蒸気機関車が、1周100メートル余りのレールの上を力強く走り回る。接続された後部の車両に人がまたがり、実物そっくりに作られた運転装置を操りながら、機関車を自在に動かす。日野市日野の工場で大型のミニSL作りを手がけて30年。その技は全国のSL愛好家の間でも評判となり、いま製造の注文が相次いでいる。
SLの模型作りに心が引き寄せられたのは5歳のとき、デパートの玩具売り場でブリキで出来た動くミニ列車を見てからだった。小さな列車がトンネルを抜けると、丘の上に置かれたおもちゃの兵隊さんが銃を構える−−そのときの情景がいまも記憶の中に深く刻み込まれている。18歳のときに時計メーカーに就職、初めて貰った給料でミニSLを買い、それからも給料が入るたびにミニSLを求めて模型屋に走る毎日が続いた。40歳のときに精密部品を加工する「タキセ製作所」を開いて独立、2年ほどして経営が軌道に乗り始めたころから仕事の合間を縫い、人が乗って動かすことができる大型のミニSL作りを始めた。
小さな模型ではなく大型にしたのは、機関車の細部に至るまで実物そっくりに作り上げることができるからだ。材料はもちろん鉄を使う。鋼材屋から買ってきた鉄板を熱して叩いたり、溶接したり、さらに旋盤を使って加工したりしながら、ボディーや部品の一つひとつを作りあげていく。
中でも特に力を注いでいるのは、蒸気を炊く釜から車輪に動力を伝える部分だ。時計や精密機器の部品作りで身につけた技術を奮い、100分の1ミリの精度にまでこだわってきた。
こうした作業を続けてきて「苦労した」と思ったことはない。難しい作業になればなるほど、ミニSL作りが面白くなる、と話す。
何から何まで実物そっくりの機関車を作り上げる。その作業は奥が深い。
「あと100年生きても足らないくらいだ」
「匠」としての技を極めるために、挑戦していかなければならないことが、まだ数多く残っている。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=青野絵梨子、塘周作、成田太昭
2008年1月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ120号【門松を今年も市長室に材料集めは稲の栽培から】
わら細工の技法を伝える 松本 保さん(75歳)
水田が一面に広がり、ガキ大将の「たもっちゃん」として育った時代、日野の農家の大人たちは米を収穫した後に残る藁(わら)を使い、生活用品の多くを自分たちで作っていた。そんな大人たちの手さばきを見ながら、藁細工の技を覚えて60年余り。地元に伝わるその技法を継承する数少ない「長老」となったいまも、独創的な新作作りに挑戦するなど、忙しい毎日を過ごしている。
年の瀬になると、その忙しさはピークを迎える。「しめ縄」などの正月飾りを作ったり、地元の人たちにその作り方を教えたりしながら、市長室やJA東京みなみ日野支店、日野ケーブルテレビ、多摩信用金庫日野支店に贈る門松を完成させなければならないからだ。
2個で1対、計8個の門松作りは、竹を鉈で切り裂くところから始まる。カンナで削り、青い色を保つために水に数日間つけた後、3本の青竹を正面に向け平行に並べてテープで仮止めし、針金で固定する。3本の竹をきれいに並べるのは至難の技で力のいる作業だが、長年の経験で体得した見事な手さばきで軽々とこなしていく。
その台座には粉ミルクの空き缶や食用油のペットボトルといった廃材を使い、その周りを藁で覆った後、2つ編みにした藁で囲んで形を整える。
「年の初めに神様をお迎えする飾りだから、手抜きはできない」。その中でも、藁と竹の材質には特にこだわる。
いま栽培されている水稲は品種の改良が進み、茎が太く短くて藁細工には向かない。そのため、改良される前の水稲の種を手に入れて日野市本町の自宅で育て、稲の実り具合をみては刈り取り、作品ごとに適した藁をそろえる。
こうして作り上げた作品はすべて無料で提供している。「手間はかかるけど、それはお金で計算できるものじゃないし、計算されたくもないから」
師走の8日、市の郷土資料館で正月に飾る藁細工の作り方教室を開いた。集まった20人の大人たちは、手さばきを見ながら懸命に藁を編むが、だれもスピードに追いついていけない。60年を超す年季の入った技法。参加者の間からは改めて感嘆の声があがった。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=長峯亮・二俣友香
2008年1月1日(火)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ119号【子どもたちに動物の魅力、動物園の役割を伝えたい 飼育係の体験を活かして】
多摩動物公園の教育普及係 唐沢 瑞樹さん(37歳)
入園して17年。その間、キリンやシマウマ、22歳の長寿を全うしたコアラの「タムタム」など多くの動物の飼育にあたってきた。その経験を買われ昨年4月からは新設された教育普及課に移り、動物や動物園のことを多くの人たちに伝えていく仕事の先頭に立っている。
周辺の小学校に出かけては、「総合学習の時間」で子どもたちに動物の生態などを分かりやすく話してあげる。子供たちを動物園に招いては、動物の飼育を実際に体験させてあげる。夏休みを利用した園内でのサマースクールには定員を上回る数の子どもたちが応募してくる。「飼育係だった自分の体験で言うと・・・」。動物と長く接してきた中で得られた話の一つひとつに子どもたちは目を輝かせる。
教育普及課という部署は、東京にある4つの動物園の運営が「財団法人東京動物園協会」に移ったことを契機に設けられた。来園者を待っているだけではなく、園の側から社会に積極的に打って出て、動物の魅力、動物園が担っている役割を多くの人に知ってもらう。その目的を果たしていくために、他の5人のスタッフと一緒に園内でのイベントも企画し、新聞、テレビ、雑誌などの取材の窓口にもなる。10月には自ら企画して「いきもの芸術祭」を開催。「動物の生き生きとした姿、輝いている姿を多くの人たちに見ていただきたい」。ずっと抱いてきた思いを、ここでいくつか実現することができた、と話す。
19歳のとき新聞の募集広告をたまたま見て、動物公園に入った。飼育の現場から今の職場に移ったときは戸惑いもあったが、子どもたちに話をしていると、その表情や言葉から何を感じ取ってもらえたかがすぐに分かる。それは、動物を相手にしていたときには得られなかった新鮮な喜びでもある。
「生き物のすばらしさをひとつでも多く伝え、そこから子どもたちが、生きていること、生きていくことの意味を理解してもらえたら」
その目標に向けていま、新しいアイデアが次から次に浮かんでいる。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=佐藤光・塘周作
2007年11月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ118号【親を亡くした地方出身者に東京の大学で学べる場を
「社会に貢献していける人材を育てたい」】
あしなが心塾 束田健一さん(37歳)
3歳のときに交通事故で父親を亡くした。母の手一つで4人の家族を支える状況にあって、交通遺児育英会が東京に設けた寮に寄宿し、全国の「あしながさん」たちからの募金で早稲田大学を卒業することができた。それから11年。日野市百草にある学生寮「あしなが心塾」のスタッフに加わり、かつての自分と同じ境遇にある70人ほどの学生たちの生活指導にあたっている。
この塾は、病気や災害などで親を亡くした子どもたちを物心両面で支える民間の非営利団体「あしなが育英会」が昨年春に開いた。親がいない地方出身の若者たちに東京やその周辺の大学に進むことができる場を提供したい。そのために、毎月の寮費は2食付で1万円に押さえている。塾ではさらに、名も明かさず募金を寄せてくれる人々の善意を常に忘れず、暖かい心と広い視野、それに行動力など社会人としての基礎を身につけ、やがて人々のために貢献していける人材を育てていくことも目標に掲げている。
自身も大学時代は同じ日野市にある交通遺児育英会の学生寮「心塾」に寄宿し、スタッフの指導を受けながら自らを高めてきた。春と秋に全国約500ヶ所で行う育英会の募金活動では、地域ブロックのリーダーのまとめ役に抜擢された。人の上に立って何かをすることに自信はなかったが、リーダーが集まる会議で意見が割れたときには、それぞれの主張を採り入れて対案を出すなど、指導力を発揮することができた。
大学を卒業後、外資系の医療機器メーカーに就職したが、阪神大震災の遺児のために「虹の心塾」が設立されることを1998年に知り、会社を辞めて「あしなが育英会」に加わった。
大学のテストや就職活動などで追われる中にあっても、塾を必要とする後輩たちのために、黙々と募金活動の先頭に立っている塾生たちがいる。そうした姿を見るとき、自らもまた、「あしなが育英会」のスタッフとしての誇りと手ごたえを感じることができる。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=實延達郎・長峯亮・成田太昭
2007年10月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ117号【地元の夏祭り】

△写真は、8月25〜26日に行われた「緑ヶ丘自治会」祭りで、町内を一日中ねり歩いた山車と地域の皆さん△

△写真は、8月18日〜19日に行われた「小宮町祭り」で「ひばり太鼓」を披露する子供達。夜は「美川憲一そっくりさん」も出演△
2007年9月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ117号【見たことのない野鳥を追って
新たな夢で第二の人生】
ひの野鳥倶楽部代表 河住 稔さん(66)
会社を定年退職して間もない6年前のある朝のことだった。自宅近くを流れる浅川の河川敷を散歩していると、スコープで何かを観察している人がいた。そばに近寄り覗かせてもらうと、その先に1羽のカワウがたたずんでいた。エメラルドグリーンに輝く瞳。日野に30数年も住んでいて初めて目にする野鳥の美しさ。その瞬間から地元に飛んでくる野鳥の探索が第二の人生の生きがいとなった。
浅川の河川敷や南平丘陵公園など市内の観察ポイントに出かけては野鳥の姿を探し、カメラに収める。そんな日々を送る中で、火力発電の機械設計技師として仕事一筋で生きてきた時には気づかなかった幾つかの発見があった。ひとつは、都市開発が急激に進んではいるが、武蔵野の自然が残る日野には多くの種類の野鳥が飛来してきているということ。さらに、その野鳥を愛する人たちが市内に数多くいるということを知り、そうした人たちとの出会いを重ねる中で2003年に倶楽部を結成、その代表に就いた。
会員は現在、50代から60代の人を中心に25人を数える。メインの活動として第1、第3木曜日に地元で探鳥会を行い、月に1回は市外にも足を伸ばしている。撮影した作品は倶楽部のホームページ(http://www.h5.dion.ne.jp/~kawasumi/)に掲載し、全国の野鳥愛好家たちにも公開している。ページを開設して4年と8か月。アクセス数はすでに9万5700件を超え、この秋には10万件に届く勢いだ。
会の活動としてはこのほか、会報を年に1回発行。今年は会員による写真展を日野市役所や社会教育センター、多摩テック・クアガーデンで開催し、10月には市内にある日本野鳥の会の施設「WING」で倶楽部恒例の「鳥の巣作り会」を開くことにしている。
「会社に勤めていたころはこれといった趣味もありませんでしたが、定年を迎えて野鳥に出会い、そこから新たな夢が広がりました」
いまの夢は、地元でまだ観察されていない野鳥の姿を1種でも多く会員たちの目で見つけ出し、それを写真集にまとめること。会員たちがこれまでに市内で探索した野鳥は155種にのぼるが、日本全国ではこの4倍近い600種ほどが観察されているという。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=相原舞子・滝沢孝祐
2007年9月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ116号【第7回 ひのよさこい祭】
7月28〜29日に「第7回ひのよさこい祭」が行われた。28日には前夜祭が、中央公園演舞場や高幡演舞場などで行われ、29日の本祭では、日野本町演舞場や多摩平競演場で華やかに開催された。とくに「よさこい踊り」がおこなわれた日野駅東側や豊田駅北口などでは、大勢の見物客で大変盛り上がっていた。第8回の来年も楽しみである。


写真は、7月29日(日)多摩平北口通りで、華やかな衣装を着て踊る「よさこい踊り」の様子
2007年8月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲
|
|
ミニコミ116号【自分が楽しみ、人に喜んでもらう 趣味で15年、プロ級の腕前】
蕎麦作りの道を究める 関根 貞治さん(72)
「老後の趣味に」と始めた蕎麦作りだが、その腕前はいまやプロ顔負けの域にある。麺だけでなく出汁(だし)にもこだわった独特の味が評判を呼び、昨年の大晦日には夜が明ける前から半日かけて250人分の蕎麦を打ち、「年越しに」と地元や親類の人たちにふるまった。
蕎麦作りを思い立ったのは、勤め先を定年で退職する前の1992年のことだ。もともと蕎麦が大の好物で、昼時になると近くの蕎麦屋さんに通っていたが、どうもぴったりとこない。「それならば自分でもっと美味い蕎麦を作ってみよう」。思い立ったらすぐに実行――が信条だ。蕎麦粉をこねる棒や鉢、包丁など道具一式を数10万円かけて買い求め、八王子市小宮町の自宅に作業小屋も建てて蕎麦作りに打ち込んだ。
とはいえ、粉をこねるには、そのときの天候で水加減を変えるほどの細心さが求められる。生地を均等に熨(の)していくにも微妙な力の配分を必要とする。それを包丁で切りさばいていくまで、工程の一つひとつが一筋縄ではいかない。そうした中で出会ったのが、「蕎麦の世界の中興の祖」といわれる片倉康男さんの著作『手打ちそばの技術』。この本の内容をすべて暗誦できるほど繰り返し読んでは試行錯誤を重ね、5年ほどかかってようやく「商売にできる」と家族からお墨付きが出るレベルにまで腕をあげることができた。
麺は蕎麦粉8、割り粉2の割合で打つ。鰹節や宗田鰹の削り節、北海道利尻産の昆布を贅沢に使った出汁に醤油と砂糖、みりんを混ぜ合わせてつゆを作り、自宅の庭で精魂込めて栽培した無農薬野菜を薬味に添える。
打ったばかりの蕎麦をご馳走になった。生き生きした麺。塩辛すぎず、甘すぎず、絶妙の味に仕上がったつゆに絡んでスルスルとのどを通る。「のど越しの良さ」とは、こういうことなのか。2人前の蕎麦を盛ったザルが息つく間もなく空になった。
「蕎麦づくりは今や私の生きがい。おいしさの頂点を究めるために自分が楽しみ、人にも喜んでもらえる。趣味として、これはもう最高です」
8年前からは、うどん作りにも挑戦している。蕎麦と違って力のいる作業だが、30年前と同じ体重を保ち、体を思い切り使って、独特の手打ちの味を創り出している。

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=実延達郎・長峯亮・成田太昭
2007年8月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ115号【少年野球を指導して32年 市内に広まる白球の輪】
日野市少年軟式野球連盟会長 佐藤 信行さん(70)
「仲間の痛みを知り、支えあって一つのものを作り上げていく。野球という集団スポーツを通し、人との連帯の大切さを学んでいってほしい」――そうした思いを抱き、白球を追う子どもたちの成長を見守りながら、市内の少年軟式野球チームを束ねて32年。連盟を結成した当時、12だったチームの数はいま28に増えた。監督の指導力や子どもたちの力も向上し、都の大会に駒を進めたチームはいま、ほぼコンスタントにベスト8以上に進出する活躍を続けている。
40年ほど前の市内少年野球自治会対抗大会。審判としてゲームセットを告げた後、多くの子どもたちが寂しそうに口にする言葉を聞いた。
「せっかくチームを作ったのに、もう解散しちゃうんだね」「野球を続けたいのにチームがない」
プロ野球の世界で長嶋や王が華々しい活躍をしていた当時、市内にもいくつかの少年野球チームが作られてはいた。しかし、横のつながりはなく、夏の自治会対抗大会が終わると多くのチームが自然消滅してしまっていたのだった。
「それならば少年野球の連盟を作り、チームとして続けていけるよう支援の輪を広げてみたらどうか」
そう思い立ち、市内のチームの指導者たちを訪ねて連盟作りを呼びかけた。1975年にそれが実現、自ら会長の重職を引き受けた。
しばらくはグラウンドも確保できないなどの苦難の連続だったが、5年ほど前には30年越しの陳情・請願が実って万願寺中央公園グラウンドと万願寺グラウンドが完成し、それからは心置きなく大会を開催できるようになった。
白球を追う子どもたちの姿を追いながら、最近は嬉しい場面に出くわすことが多くある。
以前、デコボコのグラウンドで白球を追っていた子どもたちが今は親となり、整備された球場でプレーする子どもたちに声援を送る姿を目にするときだ。
「子どもたちの成長の過程が目の前にある。そんなとき、少年野球を長く続けてきて本当によかったと思う」

《取材と記事》中央大学ジャーナリズムゼミ=菊地雅敏
2007年7月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ114号【田辺功 講演会】
6月10日(日)ご愛読者感謝の集い「田辺功氏講演会」を開催しました。
当日は悪天候の中、約600名を超えるご愛読者の方がご来場になりました。(お申し込みは914名)
講演はプロジェクターを使い、外国と日本の医療の違いや、日本の医療について辛口の講演がおこなわれた。ご来場の皆様は大変勉強になったのではないかと思います。
講演終了後、ご愛読者の皆様からは、熱のこもった質問もあり、田辺氏は丁寧に答えていました。日本の医療も外国のように、患者中心の医療が行われることを願わずにはおられません。今こそ医療改革が必要なのではないでしょうか。
講演の最後には、田辺氏の執筆した本が、抽選で10名の方にプレゼントされました。

△講演をする「田辺功氏」と来場者の皆様△
2007年6月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ110号【ご愛読者感謝の集い 「無料映画上映会」を開催】
2月11日(日)日野市民会館大ホールにおいて「無料映画上映会」を行いました。「博士の愛した数式」には、2回で2114名の方がご来場になり、1部から4部までの応募総数は4172名で、合計3093名の方がご来場になりました。
次回の上映会は4月15日(日)を予定しています。ご期待下さい。

△入口で会場を待つ愛読者の皆さん△

△会場で上映を待つ愛読者の皆さん△
2007年2月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ109号【どんど焼き】
1月14日(日)八王子石川町の田島橋下流で、正月恒例の「どんど焼き」が行われ、大勢の近隣住民が午前中より訪れていた。当日は「トン汁」や「だんご」なども販売されていたが、石川町の昔ながらの「どんど焼き」は、近隣では大掛かりなものの一つに入るのではないでしょうか。

△神主さんのお払い後、すぐに火がつけられた△

△燃え上がるのを大勢の方が見物していた△
2007年1月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ107号【多摩平ハロウィン祭り】
10月29日(日)日野市多摩平周辺において「第8回多摩平ハロウィンまつり」が行われた。
当日は、約1,500名の子供たちが独自の仮想をして参加し、17ヶ所の参加店をまわっていた。参加店の中には、予想以上に大勢の子供たちが来店し、プレゼントが品切れになり、嬉しい悲鳴をあげていた参加店もあったようです。当日の様子は、参加店の店頭に写真が掲示されている。

写真は独自の仮装をして参加した子供達
2006年11月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ105号【夏まつり】


写真は8月27(土)・28日(日)に行われた、緑ヶ丘自治会の夏祭り(当ASA日野西部の前で) 当日、大勢の方が山車を引いて町内中を回っていた。
2006年9月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ104号【第6回 ひの「よさこい祭」】
「ひのよさこい祭」は今年で6回目を迎え、年を重ねるたびに盛り上がってきているようです。29日は「日野市役所前中央公園」と「高幡不動演舞場」で前夜祭がおこなわれ、30日には「日野本町演舞場」と「多摩平競演場」で本祭が行われた。前夜祭や本祭には各地から多くのチームが参加し、元気いっぱいに踊っていました。

写真は7月29日(土)〜30日(日)に開催された「ひのよさこい祭」
2006年8月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ102号【清水建宇講演会】
6月11日(日)日野市民会館大ホールにおいて「清水建宇」講演会(主催:多摩西部朝日会日野ブロック)を開催した。
当日は朝から雨が降る悪天候でしたが、約350名のご愛読者の方がご来場になり、清水氏の講演タイトル「テレビについての3つの誤解」に耳を傾けていた。
講演の最後の質疑応答では、朝日新聞についての記事の内容等についても鋭い質問が出ていました。
当日の講演会には約660名の希望者がありましたが、悪天候の影響のせいか、来場者が少なくなったのは残念でした。
2006年6月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ101号【第9回 ひの新撰組まつり】
5月13日(土)〜14日(日)に日野中央公園をメイン会場に、「第9回ひの新選組まつり」が開催された。13日にはメイン会場において、「日野太鼓」「よさこい鳴子踊り」「隊士コンテスト」「大道芸」などが行われていた。また、模擬店、フリーマーケットも出展し賑っていた。当日は同時開催で、チャリティーイベント「新選組の子孫と語る会」も市民会館において行われた。
14日には「新選組パレード」が高幡コース・日野コースに分かれて行われ、沿道は大勢の見物客でいっぱいだった。また、別の会場では、「天然理心流演舞」や「お楽しみ抽選会」なども行われ、新選組まつりも、回を重ねる毎に盛り上がってきているようです。
2006年5月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ100号【さくら満開(ソメイヨシノ)/「桃」の花も満開】
昼間から数組の方が、満開の桜の下でお花見を楽しんでいました。

写真は「旭が丘中央公園」の桜(3月29日撮影)
甲府では「桜」と「桃」が同時期に開花します。桜も綺麗ですが、桃の花はさらに綺麗な濃ピンク色に開花します。

写真は「山梨県笛吹市」の桃の花(4月10日撮影)
2005年2月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ98号【東伊豆・河津桜まつり】
2月10日から伊豆の河津町各所において、「河津桜まつり」が開催されている。
今年は寒波のせいで例年よりも桜の開花は遅れているが、咲き始めた河津桜は一足早い春を感じさせてくれる。桜の開花は始まったばかりですが、桜まつりを目当ての観光客は多く、大型バスでの観光客も多く見られた。
開花し始めて約1ケ月で満開になる河津桜は、これからがまさに見所です。
開催は3月10日まで。皆さんも一足早い桜見物と温泉を楽しみに出かけてみてはいかがでしょう。(笠)

2005年2月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ97号【桧原村「払沢の滝」完全氷結】
桧原村の「払沢の滝」が10年ぶりに100%氷結した。
近年は温暖化の影響で、完全凍結する年がなかったが、1月8日朝に完全凍結した。
当ASAでは1月11日に取材に行きましたが、前日と当日の各紙に完全凍結の記事が掲載された事もあり、大勢の観光客が訪れていた。駐車場も満杯で、村では臨時駐車場として中学校や小学校のグランドを開放したり、近くの広場を準備していた。もちろん当日も100%凍結でした。
また、近くのお土産品売場や休憩所も人であふれ、「平日なのに日曜日以上の観光客です。」と話していました。特に「払沢の滝」への入口の「豆腐店」には、この豆腐店が美味しくて有名な事もあってか、人の行列ができていた。
「払沢の滝」は「日本の滝百選」にもなっており、東京では凍る滝として有名になっています。滝に通じる道の脇を流れる川も至る所が凍結し、15分かかる道も飽きずに登っていけます。「払沢の滝」は冬だけではなく、水しぶきをあげて流れ落ちる夏も素晴らしいと思います。

桧原村本宿の「払沢の滝」(1月11日正午撮影)
2005年1月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ97号【各地で「どんど焼き」開催】
1月9日(祝)に行われた八王子市石川町の「どんど焼き」(写真上)。当日は大勢の方が訪れ、販売されていた団子、豚汁などを食べながら、燃え上がる「どんど焼き」を見物していた。下の写真は秋川で行われた「どんど焼き」。10本の「やぐら」を組んだ大規模な物でした。


2005年1月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ96号【「映画上映会」「ジャズコンサート」】
12月18日(日)日野市民会館大ホールにおいてASA日野ブロック主催の「ジャズコンサート」を開催致しました。このコンサートには約2100名をこえる応募がありましたが、会場の都合により、しかたなく抽選となり、1075名を方をご招待いたしました。ご来場になったご愛読者の方は、一足早いクリスマスを堪能できたのではないでしょうか。

11月23日(祝)日野市民会館大ホールにおいて恒例のASA日野ブロック主催、「映画上映会」を開催致しました。この上映会には、4回上映で約3600名の方が来場になりました。
12月12日(月)と19日(月)にはタマテックへの無料温泉招待(バス送迎)を行い、約200名の方をご招待しました。(応募は330名)

2005年1月1日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ95号【日野台連合自治会の「防災訓練」が行われました。】
十一月六日(日)午前9時から12時まで、日野台連合自治会(石井豊会長)による「防災訓練」が日野台公園において実施された。
災害想定としては「地震発生で家屋や道路の崩壊時の避難など」で日野台公園に一時避難。
訓練内容は、@起震車による地震体験 A消火器による消化訓練 B煙から身体を守る訓練 C応急手当訓練 D119番への通報訓練 E応急担架の作り方 F非常炊き出し等が行われた。
地震発生時などで、地域住民が協力し合って自分自身を守る訓練は非常に重要で、皆さん勉強になったのではないでしょうか。
2005年11月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ95号【多摩平ハロウィン祭り】
10月23日(日)、多摩平周辺において「ハロウィンまつり」が行われた。当日は大勢の子供たちが仮装して参加店を回り、大きな袋いっぱいにお菓子を詰めてにぎわっていた。

2005年11月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ95号【講演会「ニュースはこう読む」を開催】
11月6日(日)、日野市在住の朝日新聞記者、植木裕光氏の講演会を「多摩平の森・ふれあい館」で開催した。講演は「小さな政府」「消費税」「医療制度改革」「在日米軍再編」等について、わかりやすく説明された。
参加者の方からは、「税金の無駄遣い」「国債発行」「日本は大丈夫か」などについて鋭く質問が出されていました。
次回は来年5月頃を予定しています。

2005年11月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ94号【東光寺小学校、地元産農産物を給食に活用し「文部科学大臣賞」受賞】
日野市新町の日野市立東光寺小学校(田崎寛文校長)では、独自の給食を作る自校方式を取り入れている。それが評価され、9月8日に文部科学大臣賞を受賞した。
東光寺小学校では、83年から地元で取れた農産物を給食に取り入れたり、校内で用務員と調理員の方が育てたキウイフルーツや、生徒たちが野外授業で収穫した野菜などを給食にしたりして、魅力ある給食作りを行っている。
また、地元農家の生産者の方が、「農業」の授業を行ったり、農家の人たちを招いて「ふれあい給食」を開いたり、授業で農作業体験を行ったりして、子ども達と農家の交流を深めたりもしている。
地元産の野菜は、消毒回数が市販品よりも少なく、また、無農薬の野菜もあり、新鮮な野菜は子ども達に評判がよく、食べ残しが少なくなったという。
東光寺小学校では、栄養士である斉藤好江さんが毎日手書きで発行している、「給食つうしん」や、「献立表」がある。
給食時に担任の先生が、その「給食つうしん」を見ながら、その日の食材や、作った農家を紹介しながら食事をする。
また、同校では給食材料の20%強が地元産で、日野市内の40件の農家が、注文された品物(野菜・芋・果物・米・卵・沢庵漬けなど約30品目)を直接東光寺小学校まで搬入する。直接仕入れるため、中間マージンがかからない地元野菜は、安く仕入れる事もできる。不足分は青果店から取り寄せているそうだが、1食あたりの食材費が決められている中で、子ども達により良いものを出せるのには感服する。
このような学校の努力が、20年も続けてこられたのではないでしょうか。
下の行事は、東光寺小学校が年間を通して実施している、給食の行事です。
@野外給食(2回)
Aふれあい給食(2回)
・農家の方を招き、野菜作りの苦労話等を聞きながら会食する。
Bカフェテリア給食
Cお別れ給食
Dバイキング給食(数種類の料理から自分で選び食べます)
E収穫祭
・農業生産者指導の下、田植えから収穫迄を学習。 収穫し
た米で餅つきをし、給食時に全校児童が食べる。
Fセレクト給食
Gキウイフルーツ収穫(校庭のキウイを給食にだします)
2005年10月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ93号【日野台の夏祭り/小宮町夏まつり】
日野台の夏まつり 8月26日〜28日
緑ヶ丘自治会の夏まつりが、緑ヶ丘中央公園をメイン会場に開催され、町内を神輿や山車が元気よく練り歩いていた。

小宮町夏まつり 8月20〜21日
小宮会館広場特設会場で行われた祭りでは、神輿の渡行、お囃子、ひばり太鼓、民謡踊り、歌謡ショーなどが盛大に開催されていた。

2005年9月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ92号【八王子まつり(8月5〜7日)】
8月5日〜7日に八王子まつりがおこなわれ、5日は「子ども音頭の集い」「氷の彫刻展」などが、6日には「関東太鼓合戦」「民謡流し」「山車居囃子競演」などがおこなわれた。最終日の6日はメインの「山車みこし競演」がおこなわれ、大変盛り上がっていました。

2005年8月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ90号【小宮町「ほたるの夕べ」】
6月19日(日曜日)、午後4時から8時30分頃まで、八王子市小宮町の蛍見橋の近くにおいて、毎年恒例になった「ほたるの夕べ」が催された。
ホタルの放飛は、午後7時30分と8時頃の2回行われ、大勢の見物客が訪れていた。
また当日は、焼き鳥やモツ煮などの模擬店も出店していて、地元の人達がボランティアで手伝っていた。
ホタルを見ていると、子供の頃、あちこちで見た風景を思い出します。
2005年6月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ90号【日野市民ふれあい福祉まつり】
6月5日(日)日野中央公園、市役所前市民プラザにおいて、「日野市民ふれあいまつり・福祉機器展示会」が行われた。
当日は、模擬店、バザー、福祉機器の展示、介護用品の販売・相談、福祉体験コーナーや中国雑技ショーなどもおこなわれ、大勢の市民の皆さんが熱心に見学していました。

2005年6月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ90号【「加藤千洋」講演会を開催】
6月5日、ご愛読者感謝の集い「加藤千洋無料講演会」(ASA日野ブロック主催)を日野市民会館大ホールにおいて開催した。
当日は日野市内(立川の一部を含む)から、約850名の方がご来場になり、加藤さんの講演する「中国の食」の話に聞き入っていた。講演後には、加藤千洋さんのサイン入り著書をプレゼントする抽選会や、加藤千洋さんの著書の即売会も行われたりしていました。

2005年6月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ89号【「ひの新選組まつり」 5月7日〜8日】
第8回「ひの新選組まつり」が、5月7日(土)と5月8日の2日間、日野中央公園をメイン会場として催された。
5月7日は新選組隊士コンテストをはじめ、さまざまなイベントが行われた。
5月8日は新選組パレードが高幡不動尊と市民の森公園から出発し、日野中央公園に集結した。また、NHK大河ドラマ「新選組」土方歳三役の、山本耕司さんも来場していた。
日野八坂神社会場では、少年剣道奉納試合や刀道四方切演舞が行われた。
日野宿本陣では、ジェラートショップなど楽しい催しが行われていた。


2005年5月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ88号【日野市内の「桜」と「さくら祭り」】

▲日野自動車さくら祭り▲

▲旭が丘中央公園の桜▲

▲コニカミノルタ桜祭り▲

▲コニカミノルタ桜祭り▲
2005年4月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ87号【早咲くサクラ】
我家のさくらんぼ(佐藤錦)のサクラが咲き始めました。昨年は3月8日に咲き始め、3月12日に満開になりましたが、今年は写真(3月14日撮影)のように遅れているようです。このサクラには大きい「さくらんぼ」が実りますが、毎年、ちょうど食べごろになると、ヒヨドリに食べられてしまいます。実が熟し、明日あたり収穫しようかと思っていると、朝早いヒヨドリがすべて食べきってしまいます。
早咲きのサクラは、昨年も紹介しましたが、小宮町の八王子水再生センターのサクラも早く咲きます。おそらく、このミニコミ発行の頃には満開になっているのではないでしょうか。センター内には入れませんが、多摩川に沿った道を入っていくと「ソメイヨシノ」の桜の木が10数本あり、その近辺から見ることができます。


2005年3月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ86号【京王百草園「梅まつり」 2月1日〜3月21日】
百草園に今年もたくさんの梅が咲き始めました。
梅まつり期間中は、お茶会、大正琴の演奏、マジックショー、猿まわし、コンサート、深梅短歌会、お香をきく会、草笛の演奏・講習会、押し花一日教室などの催し物が行われているが、天候によっては中止する場合もあります。電話等で確認してからお出かけ下さい。
*開園時間:9時〜17時
*入園料/大人300円・子供100円
*梅まつり期間中は無休
*電話/042(591)3498
交通/京王線百草園駅 下車徒歩10分
※駐車場はありません。
2005年2月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ86号【谷地川の「カモ」】
今月号の2ページの「読者の声」に投書された谷地川には大きな鯉が一年中いますが、カワセミや色々な種類の野鳥もよってきます。毎年、今の季節には10組位の「カモ」の親子づれや「鷺」も見ることができる。
場所は、新町の日野自動車の野球場の下の遊歩道に沿った川ですが、中流の「下田橋」からは良く眺めることができます。


2005年2月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ85号【八王子石川町の「どんど焼き」】
1月10日(祝日)、石川町田島橋下流に於いて「どんど焼き」が行われた。
当日は風が強く、消防の方は大変だったようですが、空高く積まれた「しめ飾り」「門松」「だるま」等が、数百人の訪れた人々の中で強風にあおられながら燃え上がっていた。
都会では少なくなった「どんど焼き」を見ていると、私たちの子供の時を思い出し、年の初めから心地よい気持ちにさせてくれる。
2005年1月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ84号【ASA主催のジャズコンサート 12月19日に開催】
昨年暮れの「ジャズコンサート」は会場の都合で福生市民会館で開催いたしました。当日は千名を越える方がご来場になりましたが、当ASA日野西部からは147名の方からお申込みがあり、全員の方を無料招待することができました。参加した皆さんは、一足早いクリスマスを楽しめたのではないかと思います。

2004年11月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ84号【ASA主催の映画上映会 11月23日に開催】
この上映会には、当ASAから1200名を越える申し込みがあり、4本上映で申込みされた全員の方を無料招待致しました。古い映画では音声が悪く迷惑もおかけしましたが、次回からはなるべく新作に近い栄外を上映したいと考えております。今年も当ASAのいろいろなイベントにご期待下さい。
2004年11月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ82号【日野市少年軟式野球秋季大会開催】
平成16年の日野市少年軟式野球秋季大会(日野市少年軟式野球連盟主催・佐藤信行会長)が9月23日(祭)から開催された。
開会式の9月23日は「万願寺第一公園野球場」に於いて、馬場市長はじめ、多数の関係者の方を招いて盛大に行われた。
当日は選手入場とチーム紹介に始まり、前年度の優勝旗、優勝カップの返還、選手宣言など、子供たちが生き生きした姿が印象的でした。
秋季大会は10月31日(日)に優勝決定戦と閉会式が予定されている。
また、11月3日には中学生新人戦開会も予定されていますので、地元の皆さんも是非、応援に駆けつけてみたらいかがでしょう。
子ども達がボールを必死に追ったり、必死にボールを打つ姿を観戦していると、私たちも子供の頃にかえり応援できるのではないでしょうか。
ASA(朝日新聞販売店)日野ブロック(7店)では、将来、高校野球甲子園大会やプロ野球選手、社会人野球を夢見て頑張っている子供たちのために、今年の12月初旬に有名現役プロ野球選手(投手)を招き、日刊スポーツ新聞社の協力をえまして「少年野球教室」を開催する予定です。


▲緑ヶ丘スティラーズの選手▲

▲帝人フレンズの選手▲
2004年10月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ81号【緑ケ丘の夏祭り/小宮町の夏祭り】
[暁自治会の夏祭り]
8月21日〜22日に多摩平第3公園で行われた暁自治会の夏祭りは、毎年、夏の恒例として地元にしっかりと定着している。
祭りでは、模擬店などが多数出店し、演歌歌手のステージなどが盛大に行われていた。今年も猛暑の厳しい中、大勢の地元の人々でにぎわっていました。特に今年の祭りは昨年以上に盛大に行われたように感じました。
[緑ケ丘の夏祭り]
8月27日(金)〜29日(日)に緑ケ丘公園をメイン会場に催された。小雨の降る中、神輿や山車が町内を練り歩いていたのが印象的でした。
[小宮町の夏祭り]
8月21日(土)〜22日(日)に小宮会館をメイン会場に催された。メイン会場の小宮会館では、お囃子や太鼓、盆踊りなどが盛大に行われていた。

▲暁自治会の夏祭り▲

▲緑ケ丘の夏祭り▲

▲小宮町の夏祭り▲
2004年9月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ80号【八王子まつり/大久保公園夏まつり】
写真(上・中)は7月31日(土)と8月1日に行われた「八王子まつり」
写真(下)は7月31日に行われた、大坂上の「大久保公園夏まつり」
=地元のまつり情報=
*小宮町夏祭り 8/21(土)〜8/22(日)
*緑ケ丘祭り 8/27(金)〜8/29(日) 緑ケ丘公園
*日野台4丁目夏祭り 8/27〜8/29 日野台4丁目公園
*多摩平5丁目祭り 8/28(土) 多摩平第二公園

▲八王子まつり▲

▲八王子まつり▲

▲大久保公園夏まつり▲
2004年8月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ79号【小宮町「ほたるの夕べ」】
6月20日に行われた小宮町の「ほたるの夕べ」には、千人を越える大勢の方が鑑賞に訪れていました。開催の数日前に朝日新聞多摩版に掲載されたのも影響があったのではと思います。多摩版には当ASAから情報発信致しました。
当日は当ASAからも手伝いに出ましたが、出店した飲食物のほとんどが売り切れたと聞いており、回を重ねる毎に訪れる方が多くなっているように思えます。

2004年7月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ77号【第7回 ひの新選組まつり 5月8日・9日】
5月8日(土)と9日(日)の2日間、「第7回ひの新選組まつり」が日野市まちおこし連絡協議会、ひの新選組まつり実行委員会の主催(後援:日野市)で催された。
5月8日は万願寺メイン会場に於いて、新選組コンテストをはじめ、出陣太鼓、ブラスバンド、チャンバラゲームなどが行われ賑わっていた。
5月9日(日)には新選組パレードが行われ、土方隊は高幡不動尊に、井上隊と近藤隊は日野市役所に、沖田隊は七生自然学園に出陣した。
出陣後は、全隊が午後2時30分頃に浅川スポーツ公園に集結し、八坂太鼓、神輿先頭に、午後3時頃、万願寺メイン会場に到着した。
「ひの新選組まつり」も今年で7年目となり、350社以上の各種団体・企業・商店などが協力や協賛者となって、盛大に行われた。日野新聞同業組合でも折込チラシの配布などで協力いたしました。
2004年5月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ75号【宝泉寺/井上源三郎の墓】
宝泉寺には新選組六番隊長・井上源三郎(鳥羽伏見の戦いで戦死)の墓があります。また宝泉寺には「墓前ノート」がおいてあり、井上家の子孫の方が大切に管理している。お墓参りの際にコメントを書き込むことができる。日野駅のすぐ近くにある事もあり、多くの方が訪れている。
*参拝自由(ルールを守って墓参のこと)
*駐車場はありません
*交通:JR日野駅徒歩3分
*電話:042-581-1926

▲宝泉寺▲

▲井上源三郎の墓▲
2004年3月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ74号【百草園「梅まつり」2月1〜3月21日】
多くの文人、茶人が愛した百草園。今年もたくさんの梅が咲き始めました。
「梅まつり」期間中は色々な催しものが行われています。
「梅見と酒蔵祭」は期間中の土曜、日曜、祝日の午前十一時から午後三時に蔵元の販売、無料試飲会。日によって変わりますが、お茶会、大正琴の演奏、マジックショー、猿まわし、コンサート、深梅短歌会、お香をきく会、草笛の演奏・講習会、押し花一日教室などが行われている。
催しものは天候によって中止になったり、有料のものなどもあり、電話で確認してから出かけられたらいかがでしょう。
*開園時間
9時〜17時
*入園料/大人300円
子供100円
*梅まつり期間中は無休
*電話/042(591)
3498
交通/京王線百草園駅 下車徒歩10分
※駐車場はありません。

▲園内の様子▲
2004年2月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ73号【日野市消防団出初式】
多摩川グランド(石田大橋下側)において、日野市消防団出初式が行われた。当日は分列行進や国旗掲揚の後、団長、市長、消防署長の挨拶があり、その後、各表彰、消防演技、一斉放水などが行われていた。
2004年1月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ73号【日野宿本陣跡】
新撰組ゆかりの市指定文化財「日野宿本陣跡」は、日野宿名主、旧佐藤彦五郎宅で、幕末当時の風情を残す長屋門などは見ものです。最近までは、美味しい手打ちソバの「日野館」でしたが、「新撰組フェスタin日野」の開催で道場を開放するため、「日野館」は神明町へ移転中です。
2004年1月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ73号【石川町のどんど焼き】
1月11日(日)午前11時から午後1時にかけ、八王子市石川町の田島橋下流の河川敷において、石川町地域住民協議会の主催で「どんど焼き」が行われた。
当日は大勢の近隣の方々が見物にかけつけ、販売されていた「だんご」や「トン汁」などを食べながら楽しんでいました。
2004年1月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ72号【ASA主催の映画試写会・ジャズコンサート】
ASA主催の映画試写会 「半落ち」を12月20日に開催しました。
この試写会には、当ASA日野西部だけで千名を越える申し込みがあり、厳正な抽選で300名様をご招待致しました。抽選もれの方には再抽選で500名様に劇場招待券をお渡し致しました。
また同日ASA主催の「ジャズコンサート」
も開催しました。
この「ジャズコンサート」には先着300名様をご招待致しました。当ASAには380名の方がお申し込みになりましたが、先着順とさせて頂きました。

▲映画試写会の様子▲

▲ジャズコンサートの様子▲
2004年1月1日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ71号【多摩平ハロウィン祭り】
10月19日(日)第5回多摩平ハロウィン祭りが、多摩平商店連合会の有志を中心に、多摩平周辺にて行われた。
この多摩平ハロウィン祭りも、回を重ねる毎に盛り上りもみせ、今年は昨年にも増して大勢の子ども達が仮装したり、化粧したりして参加していました。

▲多摩平6丁目信号付近▲

▲日野第五小学校信号付近▲
2003年11月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ71号【「ニュースはこう読む」を開催】
11月16日(日)ひの社会教育福祉センターに於いて、「ニュースはこう読む」の講演会を、日野市在住で朝日新聞経済記者の植木裕光氏を講師に招いて開催した。
講演は、総選挙の開票速報の話から始まり、イラクへの自衛隊派遣問題、年金、日本経済の今後、道路公団、郵政民営化問題などを中心に講演された。
参加者の皆さんからは、郵政問題、銀行問題、株価問題、日本は財政赤字なのに、イラクへの財政支援を行って大丈夫なのか等の質問が行われていた。
今回の講演会には19名の方が参加されました。
次回の講演会は来年の5月か6月を予定しています。

▲講演会の様子▲
2003年11月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ70号【ASAご愛読者の集い 映画上映会】
10月13日(体育の日)に「ASAご愛読者感謝の集い」で無料映画上映会を行った。
午前8時50分に上映会場の準備にかかり、10時からの「シュレック」・「戦場のピアニスト」・「たそがれ清兵衛」・「戦場のピアニスト」の4本を上映した。午後9時にすべての上映が終わり、後片付けが終わったのは午後9時40分でした。
当日は、途中で悪天候にみまわれ、正面入口からの入場ができず、しかたなく裏門からの入場になりました。また、たて看板や案内提示版など暴風に倒されたりと散々でした。 ご愛読者の皆様にも大変ご迷惑をかけたのではないかと思いますが、映画終了後、さわやかな笑顔で会場を後にしているのを見て安心しました。
皆様のご来場は「シュレック」が約780名、1回目の「戦場のピアニスト」が約1030名、「たそがれ清兵衛」が約1095名、2回目の「戦場のピアニスト」が約1090名で、合計3995名の方がご来場になりました。
ASAでは、今後もいろいろなイベントを企画してまいります。ご期待下さい。

▲入場して上演開始を待つご愛読者の皆さん▲
2003年10月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ69号【地元の夏祭りの風景】
・日野市の夏祭りの風景

▲8月17日の多摩平「よさこい祭り」▲

▲9月14日の八坂祭り▲

▲8月24日の日野台二丁目の夏祭り▲

▲9月14日の八坂祭り▲
・小宮町の目黒ばやし
祭りの囃子の本流とも云われるのが「神田ばやし」で、その流れを汲むものが「目黒ばやし」と云われている。
このはやしは、前列に小太鼓(シラベ)2名、大鼓(オオドウ)1名、後列に篠笛(トンビ)1名、鉦(ヨスケ)1名の5名で演奏します。お面には、おかめ、ひょっとこ、きつね、獅子がある。(由)

▲8月23日の小宮町の夏祭りでの「目黒ばやし」▲
2003年9月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ68号【地元のブルーベリー摘取園】
人気のブルーベリーが最盛期を迎えている。日野市内には15ケ所のブルーベリー観光摘み取り園がありますが、今回は当ASAの近くにある東光寺上の農園をご紹介します。
日野市のブルーベリー園の入園料は無料で、入園者自身が摘み取ったブルーベリーを100グラムあたり200円を支払うシステムになっている。
ご愛読者の皆様も是非、散歩がてら出かけてみたらいかがでしょう。両農園とも、当ASA前の中央道を越えた向かいの、テニスコートの近くにあります。
開園日は9月10日迄(要予約)駐車可
*福島農園*
電話042(584)3839
開園日と時間/水・木・土・日
午前8時〜12時
午後4時〜6時
※日野駅から宇津木台方面、谷地川・新旭橋手前を上がる
*和田農園*
電話042(581)6229
火曜日休み
午前8時〜12時
午後3時〜6時
※サンテニス七ツ塚前。
ミニバス緑ケ丘停留所徒歩3分

▲和田農園 ブルーベリー園▲

▲見事に完熟したブルーベリー園▲

▲福島農園の摘み取り入り口▲
2003年8月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ67号【手作りパンの店『工房サライ』】
日野市栄町の新町郵便局前の知的障害者通所授産施設「工房サライ」では、焼き立ての手作りパンを、毎日40種類、約200個ほど製造販売している。
「身体にやさしい」をモットーに、無添加で安心して食できるものを目指している。
小麦は国産の「はるゆたか」を中心に使い、手作りにこだわり、じっくりと作りあげている。また、最近話題の「白神こだま酵母」を使った食パンを曜日限定(水・金のみ)で、一日10斤ほど焼いて販売している。
工房サライでは知的障害者(児)が地域に根ざした活動を行うことにより、社会活動に参加できるよう、10名の方が毎日作業に取り組んでいます。
今月号の「読者の声」にも投稿されていますが、近所の噂では大変美味しいと評判になっているようです。
「工房サライ」の住所:日野市栄町4―2―16 渡辺ビル、 電話・FAX(042)585―6601
2003年7月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ66号【「初夏の風物詩」小宮町「ほたるの夕べ」】
6月15日(日)午後5時頃から8時30分頃にかけて、小宮町の日野用水際特設会場において、「子ども達に夢を、地域に自然を」をキャッチフレーズに「ほたるの夕べ」が行われた。
「ほたる」は午後7時30分頃に放飛され、訪れた大勢の方々は、幻想的な光が群舞する「ホタル」に満喫していた。
また、金魚すくい、焼きソバ、やきとりなどの模擬店も出店しており、「ホタル」の放飛までの時間を雑談などで花咲かせていた。
ホタルが発光しながら飛ぶ姿を見れるのは30日から60日程度。成虫になったら2週間程度で死んでしまう。
将来、この放飛した「ホタル」が、最近綺麗になってきた近くの河川に卵を産みつけ、自然繁殖して神秘的輝きを楽しませてくれればと思います。
ホタルを東京でこれから楽しめるのは「八王子市夕やけ小やけふれあいの里」が今日20日21時まで、「板橋区ホタル飼育施設」が6月21日までがゲンジ、7月18日から20日までがへイケを無料で観察できる。時間は午後7時30分から午後9時30分まで。
2003年6月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ65号【ひの新撰組まつり 5月10・11日】
今年の「ひの新撰組まつり」は日野市市制40周年記念事業の一環として5月10日・11日の2日間行われた。メインの新撰組パレードは、高幡コース、多摩平コース、日野コースの3ケ所で行われ、音楽家の「つのだ ひろ」氏も参加されていた。
まつりでは、歳三忌講演会、大道芸、剣道大会、おはやし、太鼓、歳三うどん試食会、生バンド演奏、交通安全市民の集い、寅さんそっくりショー、新撰組隊士コンテストなども催され、各会場で大変な盛り上がりようであった。また、フリーマッケットや農産物、各種物品、飲食物の販売なども行われていた。
前夜祭の9日には映画「壬生義士伝」が日野市民会館大ホールで上映され、原作者で日野市在住の浅田次郎氏のサイン会や本の即売会も行なわれた。「ひの新撰組まつり」も、年を重ねるたびに市民の皆さんに浸透し、盛大になってきているように思えます。

2003年5月20日(火)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ64号【日野自工さくら祭り】
4月6日、日野自工で桜祭りが行われた。
当日、バザーや実際にパリダカに出場したトラック、トヨタの新車なども展示されていた。また、子供用のミニSLなどもあり、大勢の家族づれでにぎわっていた。

 
2003年4月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
|
|
ミニコミ62号【遅咲きのスイセン】
写真は、新町に住む打越様の庭のニホンズイセンです。ヒガンバナ科スイセン属で開花期が12月〜2月との事です。
昨年度は、12月初旬には咲き乱れたのですが今年度は12月に雪も降り、寒かったせいか1月上旬にようやく花を咲かせました。もうすぐ春の到来ですね。
2003年2月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ62号【檜原村「払沢の滝」今年の最大凍結60%】
日本の滝百選にも選ばれている檜原村の「払沢の滝」は、今年も完全凍結はしないようだ。10数年前までは、毎年、完全凍結していたが、最近は地球の温暖化のせいか、完全凍結する年がなくなってきた。昨年は1月7日の45%が最大凍結で、今年のような寒い年でも1月9日、1月17日、1月26日の60%が最大凍結でした。(2月16日現在)
1月26日(日)、当ASA編集室は、「払沢の滝」へ出かけた。秋川街道から檜原街道に出て、檜原役場の信号を右折し、しばらく行くと「払沢の滝入口」の看板が見えた。
入口の先には無料駐車場や売店などができていたが(10年位前にはなかった)、途中の山道は積雪のため歩くのに苦労した。しかし、途中の沢の水は澄んだ綺麗な水で、感動しながら登り、10分位で到着した。日曜日のせいか、数十人の人が訪れていたが、今年最大の凍結度60%を見る事ができ良かったのではないでしょうか。ご愛読者の皆さんも出かけてみてはいかがでしょう!(田中)

▲1月26日(日)の払沢の滝▲

▲1月26日(日)の払沢の滝 滝つぼ▲

▲滝への山道の様子▲
2003年2月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ61号【地元のどんど焼き、お焚き上げ】
今年も例年のように「どんど焼き」や「お焚き上げ」が各地域において行われた。
一月十一日(土)には多摩平西集会所横の公園で、十二日(日)には緑が丘中央公園で、また、同じく十二日には石川町の田島橋下流で午前十時頃から行われた。
特に印象に残ったのは石川町の「どんど焼き」で、田島橋下流の河川敷には大勢の住民の方が、お飾り、御守り、門松などを持ち寄って集まっていた。高く積まれたお飾りなどに火を点すと、昨年までの不景気を吹き飛ばすかのように、空高く燃え上がっていた。
また、お餅や、お団子、トン汁などもふるまわれ、寒空のなか、炎が燃え尽きるまで皆さん残っていた。思うに、お餅などを食べながら、最近の不景気が早く回復する事を願いながら、雑談に花を咲かせていたのではないでしょうか。

▲石川町田島橋下流▲

▲当日の田島橋の様子▲

▲多摩平西集会所横の公園▲

▲緑が丘中央公園▲
2003年1月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ59号【第二回経済ニュースの裏側】
10月17日(日)ひの社会教育福祉センターに於いて、「第2回経済ニュースの裏側」の講演会を、地元在住で朝日新聞経済記者の植木裕光さんを講師に招いて開催した。
14名の方が参加されましたが、講演の後の雑談では、今の日本経済や北朝鮮問題についての事などが和やかに質問されていた。次回の講演会は来年の5月頃を予定しています。
講師の植木さんは、10月23日の朝日新聞多摩版にも掲載されていましたが、小・中・高校への出前授業で多摩市の中学校で経済授業を行いました。地元の学校でも活用できますので、朝日新聞東京本社または当ASA日野西部迄お問い合わせ下さい。
2002年11月20日(水)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ58号【ASAご愛読者の集い
劇団風の子公演会】
10月12日(土)多摩西部朝日会・日野支部主催で、お年寄りからお子様まで楽しめる、劇団風の子「お祭りどんぶり」の公演会を昼間の部と夕方の部に分けて日野市民会館大ホールにおいて開催した。
当日、昼の部と夕方の部で約700名のご愛読者の方が訪れ、皆さん満足げに楽しんでいました。
当ASA日野西部では184名の応募がありましたが、応募者全員の方を昼の部と夕方の部に分けてご招待致しました。
2002年10月20日(日)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ57号【ASA愛読者の集い 映画上映会】
9月15日(日)多摩西部朝日会日野支部主催で映画の上映会を行った。応募は1,200通2,400名の方が希望されましたが、会場の関係で抽選に当たった2,000名を昼と夜に分けてご招待致しました。当ASA日野西部では258通516名の応募があり、この中より抽選で235通470名の方を昼と夜に分けてご招待致しました。

2002年9月20日(金)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ55号【八王子市小宮町 ほたるの夕べ】
6月23日(日)昨年に続き、第2回「ほたるの夕べ」が小宮町で行われた。
当日、途中から小雨になったが、その中で700匹のホタルを2回に分け放飛した。夜空に舞うホタルを見て、子供達だけではなく、大人達も喜んだりして楽しんでいた。
近い将来、養殖のホタルではなく、自然で育ったホタルが見たいものです。 (内)
2002年7月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ54号【勉強会
「経済ニュースの裏側」】
6月16日(日)ASA日野西部2F会議室において、勉強会「経済ニュースの裏側」が行われた。
当日、講師の朝日新聞経済記者である植木裕光氏の講演で始まり、その後、参加者の朝日新聞読者からの、経済や記事についての質問などもあり、気楽に和やかに行われた。
1回目ということで小人数の勉強会でしたが、今後、年2回(次回は十一月頃)を予定しています。どうぞ、お気軽にご参加ください。

2002年6月20日(木)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ53号【新・市立病院で見学会 市民多数が参加、公開度も合格点】
多摩平に建設中だった新しい市立病院が完成、6月3日からの業務開始を前に、11日、19日の両日、事前公開され、中高年の夫婦、若い家族連れら多くの市民が訪れました。入り口で渡されたパンフレットを手に、6階から地下2階の基礎工事部分まで、熱心に見学、新市民病院への市民の関心と期待の大きさを裏付けました。
見学会では、大切な機械・機器類の入っている特殊な部屋を除き、病棟、診察室、院長室、リハビリテーション室、外来受付など、ほとんどの施設が市民に公開されました。廊下から中に入れないように、テープを貼ってあったり、ドアが閉まっていたりした部屋も覗いてみることはでき、公開度も十分でした。
新しい診療科や施設の具体的な内容は、近く配布される「広報ひの」で詳しく説明される予定ですから、そちらにまかせますが、新市民病院では,新患や急患を除いて予約制になります。これまでの数時間待ち、診察時間は数分間という日本の病院特有の欠陥は大幅に改善されそうです。各診療科には、電光掲示板があり、順番も分かるようになります。
もちろん、初診の患者も受け付けます。一定のルールに基づいて、新患が「割り込む」形になるので、その分、予約時間がずれる可能性がありますが、「せいぜい30分の遅れで済むようになります」との説明でした。薬の処方、会計もコンピューターで連動、スピードアップに効果を発揮するはずです。
また診察室はカーテンで仕切られた大部屋ではなく、個室になっていて、患者さんのプライバシーが守られるようになっています。待合室のイスもゆったりと、患者さんの負担にならないようにやや堅めのシートになっています。
病室は6階から4階まで、各階に100室、計300室あります。旧病院の160室からほぼ倍増です。基本は4人部屋です。実際に入院し、各ベッドがカーテンで仕切られると、印象が違うと思いますが、各室にトイレがあり、ベッドの配置も頭の位置が少しずつずれているなど、居心地にも配慮したあとがうかがえます。
廊下もゆったり。随所に絵が飾られ、デイルームという談話・食事コーナーもあり、病室外でもくつろげるようになっています。窓からは中央公園や市街地を見晴らすこともでき、患者さんの心をいやすことでしょう。
旧病院に比べ、個室や2人部屋なども多くなっています。シャワー付きの個室だと差額ベッド代が1万3000円。「旧病院では5000円だった」と経験者が話していましたが、施設が新しくなった分だけ、高くなったと言うことでしょうか。
また、病室がほぼ倍増したのに比べ、看護婦さんらスタッフは「2、3割増になるはず」とのことで、スタッフの負担増が心配です。介護サービスの低下にならないように願いたいものです。
「市民に信頼され、選ばれる病院」が市立病院の基本概念だそうです。今回のように開業前に、多くの見学者を受け入れ、また、説明役がていねいに、市民の質問に答えている姿を見ると、最新の医療機器導入、建物の新しさといったハード面だけでなく、市民・患者さんが主役の病院にというソフト面でも大いに期待できるでしょう。(植)

▲受付も広々。待合室もゆったりした新市立病院▲
2002年5月20日(月)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ52号【コニカ祭り】
4月3日(水)コニカ多摩平事業所において、毎年恒例の『桜まつり』が行われた。今年は暖冬で桜は葉桜になりかけていたが、約4千人の方が訪れ、夜桜を楽しんでいた。
また、多摩平商店街の夜店も出店し、ハロウインの写真も展示されていた。
子供たち千五百人には、お菓子なども配られていた。

2002年4月20日(土)発行 ▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ51号【多摩平公団住宅第1期の入居開始】
平成9年3月から高層ビルに建替え新築中だった多摩平公団住宅の第1期分が完成し、3月から入居が始まった。
昭和33年に建てられた多摩平団地は10数年位前から入居募集を中止し、2700戸あった世帯が現在では半数以下に減っていた。
今回は第1期分8棟の383戸の戻り入居となるが、すべての建物が完成すると4000世帯以上のマンモス団地になる。この建替え中の団地は高齢の方も安心して暮らせる長寿社会対応型に建築されており、又、樹木などもできるだけ残し、緑の多い団地『多摩平の森団地』として生まれ変わる。さらに、都営住宅も平成16年頃に完成予定で、この地域も10数年ぶりに活気づいてくることでしょう。
この地域は昭和32年に日本住宅公団が開発を始めた。
当時の朝日新聞や日本経済新聞などの記事を見ると、一面が雑木林と野菜畑の40万坪の台地に、衛星都市第1号として計画され、公団住宅273棟2792戸、商店100戸の東京で1、2を争う大団地、多摩平ニュータウンと書いてある。
現在の日野市は、高幡駅周辺や日野駅周辺の開発が進んでいるが、近い将来には、昭和30年代のように、豊田駅周辺が1番の町になるような予感がします。

▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ51号【朝日家庭婦人バレー教室】
3月3日(日)多摩平コニカ体育館において、朝日家庭婦人バレー教室が開催された。
当日、日野市バレーボール連盟に推薦さてた8チーム約120名の方が参加した。
コーチ陣は元全日本監督の岩本洋さんや、元全日本キャップテンで3大会オリンプック出場の丸山由美さん(旧姓、江上)等5名の方で、参加者の方はチーム別に和やかに練習や指導をされていた。
参加チームには後日、ASAからサイン入り写真とボールをお届けする予定です。

▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ50号【2つの病院が近々オープン】
八王子市石川町に高度な最先端医療ができる『東海大学八王子病院』が3月1日に開設される。
当初は24時間体制の救急センターを中心とした診療がスタートし、4月からは電子カルテを導入した外来診療も開始される。
診療科目は26科で、診療受付時間は月曜日から金曜日までは午前8時から午後3時まで、土曜日は午前8時から正午までとなる。
病床数は平成17年までに500床になる予定です。駐車場は30分以上は有料ですが530台が駐車できる。
また、2月24日には午前10時から正午までと、午後1時30分から3時30分まで一般公開される予定。さらに6月には、新築中の『日野市立総合病院』が、現在の病院のはす向かいに移転しオープンする。病床数も大幅に増床され、最新設備で診療されることになりそうで、安心して診察を受ける事ができます。
また、今は狭くて小さな駐車場も、路上駐車する事なく、大駐車場に止める事ができるのではないかと思います。
日野市立総合病院についての詳細は5月20号の当ミニコミで紹介する予定です。
▲一覧に戻る▲ |
|
ミニコミ49号【地元の『どんど焼き』】
1月12日には「多摩平西公園」で、1月13日は「緑が丘中央公園」と八王子石川町の「田島橋下流の河川敷」において『どんど焼き』や『お焚き上げ』が行われた。
当日は天候もよく、近くの住民の方が次々と正月に飾られた「お飾り」などを持込んでいた。また、訪れた人々には、甘酒や、こんにゃくイモなどをふるまったりもしていた。
田島橋下流の河川敷の「どんど焼き」は、石川地域住民協議会主催のためか、周辺の住民、数百名の人々が河川敷を埋め尽くし、火の用心のため消防車も待機していた。また、訪れた人々には、御神酒や串団子などをふるまったりもしていた。

▲多摩平公園で1月12日に行われたどんど焼き▲

▲田島橋下流の河川敷で1月13日に行われたどんど焼き▲
▲一覧に戻る▲ |
ミニコミ45号【緑ケ丘自治会の『夏祭り』風景】
8月24日〜26日に日野台2丁目公園と周辺において緑ケ丘夏祭りが盛大にとりおこなわれた。24日は御輿巡行など、25日は山車、子供御輿や盆踊り、花火などが行われた。最終日の26日には、山車・御輿の日野台4丁目地区友好親善巡行も行われた。又、夜はカラオケ大会や福引き抽選会なども行われ、町内の皆様方はたいへんに盛り上がっていました。


▲一覧に戻る▲ |
ミニコミ45号【小宮町夏祭り2001】
8月18日・19日に日吉・八坂神社の夏祭りが小宮会館で盛大に挙行された。夏祭りの両日は御神輿渡御・盆踊り・お囃子・ひばり太鼓・歌謡ショー等が行われたが、2日目の19日の歌謡ショーでは、現役プロ歌手や現役司会者を招き、町民の方は超豪華なステージを楽しんでいました。
 
▲一覧に戻る▲ |
ミニコミ43号【八王子市小宮町『ほたるの夕べ』】
6月24日(日)小宮町で『ほたるの夕べ』が行われた。当日、午後4時頃より見学者が集まり始め、ホタル放飛の8時には約千名の方が訪れた。
第1回目の『ほたるの夕べ』ということで放飛方法に少し問題があったように思われたが、七百匹のホタルに、子供達は満足されたのではないかと思いました。

▲一覧に戻る▲ |
ミニコミ41号【第4回
ひの新選組まつり】
五月十二日(土)〜十三日(日)に『第四回ひの新選組まつり』が日野中央公園・市民プラザをメイン会場に盛大に行われた。
メイン会場の日野中央公園では、青空バザーや物品販売、大道芸、その他の催し物が二日間にわたって行われ、二日目にはメインの『新選組隊士パレード』が高幡不動尊の土方歳三の銅像の前で法要を営んだ後、高幡不動尊からモノレール高幡不動駅までと、JR豊田駅北口周辺、日野八坂神社から日野市役所までの三地区に分かれて行進した。
▲一覧に戻る▲ |
ミニコミ40号【八王子・小宮町】
小宮町町会(加藤会長)では、今年も又、町花の『インパチェンス』の苗を、五月十二日〜十三日の午前中に、小宮町会館において町内の希望者に配布する。この花は、開花時期が春から秋迄と長く、七種類の花が休む間もなく咲き続けます。これから秋にかけて、小宮町の通学路、駅、公園、各家庭などではインパチェンスの花が咲き乱れることでしょう。
又、小宮町商工振興会では、町内の番地入り地図を、A2判フルカラーで作成し、配布する予定でいる。
さらに、六月にはホタル祭りも計画されている。
▲一覧に戻る▲ |
ミニコミ39号【昭和30年頃の多摩平の風景】
泉塚交差点付近から写した、昭和三十年頃の多摩平の貴重な写真が見つかりました。(多摩平の佐藤さん提供)
現在、建替えが進んでいる多摩平公団の建設当時と思われます。また、現在の泉塚交差点にあるヒノサイクルの昔の店舗の写真も写っています。
現在は奇麗に舗装され、周辺は第五小学校や公団分譲地に家が建ち並んでいる。当時の新聞を読んでみると、「多摩平ニュータウン」という表現が使われている。



▲一覧に戻る▲ |